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マタイの福音書 マタイ5章

山上の説教:正直さ

時には、信頼できる人を見つけるのは難しいことがあります。この壊れた世界では、人々がお互いを信頼できないため、契約や誓いを求めることがあります。

「私は約束します。」

「私は誓います。」

けれども、イエス様は、私たちが正直な人になるべきだと教えます。つまり、周りの人々があなたの言葉を信じるようになり、契約や誓いを必要としないようになるのです。

イエス様はこう言われました。

さらにまた、昔の人々に、「偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ」と言われていたのを、あなたがたは聞いています。

しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。

地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。

エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。

あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。

だから、あなたがたは、「はい」は「はい」、「いいえ」「いいえ」とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。(マタイの福音書5:33-37)

イエス様の時代では、もしあなたが神様のみ名によって誓ったなら、その誓いを守らなくてはなりませんでした。けれども、パリサイ人たちや律法学者たちは、天や地や自分の頭を指して誓った場合、その誓いを守らなくても良いと教えていました。

しかし、イエス様は私たちにすべての誓いを守らなくてはならないと教えました。なぜなら、エルサレムや天や地は神様に属しており、それらは神様の栄光を反映しているからです。したがって、これらの物を指して誓うことは、実際には神様を指して誓うことと同じです。

さらに、あなたの頭も神様に属しています。白髪がいつ出るかをあなたはコントロールすることはできません。

とはいえ、イエス様の要点は「すべての誓いを守らなくてはならない」ということではありません。

むしろ、イエス様の要点はこうです。「誓わない方が良いのです。相手があなたに誓いを要求する理由はただ一つです。それは、相手があなたの言葉を信頼できるかどうか分からないからです。」

では、どうして彼らはあなたの言葉を信じられるかどうかわからないのでしょうか。

1.彼らは、あなたのことを知らないからです。そのため、裁判所では、人々が「真実を言うことを誓います」と言わなくてはなりません。裁判官たちは、あなたのことを知らないからです。

2.彼らは、あなたのことを知っているけれど、あなたを信頼できないため、あなたの言葉を疑います。その場合、相手は、あなたに誓いを要求するかもしれません。

一つ目の場合は、仕方がありません。私たちは、罪によって壊れた世界に生きているからです。人間不信は普通のことです。だから、裁判所で私たちは誓わなくてはなりません。

イエス様は、すべての誓いを禁じるわけではありません。実際、イエス様もそうされたからです。(マタイ26:63-64)

けれども、二つ目の場合、ある程度まで、あなたはコントロールすることができます。もし、あなたがいつも正直に話すなら、周りの人々はあなたの言葉を信じるようになります。

そうすれば、彼らはあなたからの誓いや約束を要求しません。むしろ、あなたが話すと、彼らはあなたの言葉を疑わずに信じます。

周りの人々は、あなたの言葉を信頼できるでしょうか。小さいことでも(パーティーにちゃんと間に合うこと)、また大きいことでも(仕事やミニストリーへの忠実さ)、彼らはあなたを信頼できるでしょうか。

イエス様は、私たちが世の光として生きるように招いておられます。人々が他人を信頼できないことが多いこの世界で、あなたは光となっているでしょうか。周りの人々は、あなたのことを信頼できるでしょうか。

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ダニエル書2

正直さ

少し話をバビロンとダニエルに戻しましょう。

ダリヨスという人物が王として治めました。このダリヨスは、エズラ記6章に登場するダリヨスとは異なります。

実は、ダニエル書におけるダリヨスが誰であるかについては議論が続いています。

ダリヨスはクロス王の別名である可能性があります。また、ダリヨスはグバルという人物かもしれません。グバルはクロス王の治世において、バビロンの知事を務めていました。

いずれにしても、ダニエルが他の大臣や太守よりも際立って優れていたため、ダリヨスは彼を任命して全国を治めさせようと考えました。(3節)

けれども、他の大臣や太守たちは全く喜ばなかったことでしょう。おそらく、彼らはユダヤ人がそのような地位に就くことを受け入れられなかったのです。

そのため、彼らはダニエルを非難する理由を探しましたが、何も見つけることができませんでした。

4節にはこのように書かれています。

何の口実も欠点も見つけることができなかった。彼は忠実で、彼には何の怠慢も欠点も見つけられなかったからである。(ダニエル書6:4)

だから、彼らは言いました。

私たちは、彼の神の律法について口実を見つけるのでなければ、このダニエルを訴えるどんな口実も見つけられない。(5)

そして、彼らはダリヨスにこう提案しました。

今から三十日間、王よ、あなた以外に、いかなる神にも人にも、祈願をする者はだれでも、獅子の穴に投げ込まれると。(7)

なぜダリヨスが賛成したのか、私にはわかりません。

もしかすると、自分のプライドから賛成したのかもしれませんし、その律法によってバビロン人の忠誠をペルシャ側に移そうと考えたのかもしれません。

いずれにしても、彼はその提案を気に入り、その禁令の文書に署名しました。

では、ダニエルはその律法について聞いたとき、どう反応したでしょうか。いつものように、彼は一日に三回祈り続けました。

他の大臣や太守たちはそれを見つけると、すぐにダリヨスに報告しました。

ダリヨスはその知らせを聞いて、深くショックを受けました。彼はなんとかしてダニエルを救おうとしましたが、その律法を変えることができなかったため、最終的にダニエルを獅子の穴に投げ入れることとなりました。

この話をよくご存じかもしれません。神様は天使を送り、その獅子たちの口を塞がれたため、ダニエルは無事でいられました。それを見たダリヨスは、ダニエルをその穴から救い出し、ダニエルを非難した者たちとその家族を獅子の穴に投げ込みました。

この物語で私が最も感動したのは、ダニエルの正直さと忠実さです。大臣や太守たちはダニエルの生活を注意深く調べましたが、何一つ非難できる点を見つけることができませんでした。

彼は忠実で、怠慢も欠点もありませんでした。そして、神様に従うか、信仰を妥協するかを選ばなければならない場面でも、彼はためらうことなく神様を選びました。

あなたはいかがでしょうか。周囲の人々はあなたについて、そのように語ることができるでしょうか。また、プレッシャーがかかったとき、信仰を妥協するでしょうか。

それとも、ダニエルのように神様に忠実に仕え続けるでしょうか。

私たちもダニエルのように、正直さと忠実さを持って神様に従いましょう。