カテゴリー
士師記

気まぐれな人々

イスラエル人は本当に気まぐれな人々でした。神様に対して気まぐれだったし、エフタという人に対しても気まぐれでした。実際、イスラエル人の神様との関係とイスラエル人のエフタとの関係は本当に似ています。

エフタが不品行によって生まれた人だったので、彼の兄弟とその都市の長老たちは彼を追い出して、「あなたはほかの女の子供だから、私たちの父の家を受け継いではいけない」と言っていました。

けれども、大変な時に、イスラエル人はアモン人と戦うために、エフタに「私たちの首領になってください」と願いました。(士師記11:6-8)

神様に対しても、それはイスラエル人の態度でした。全てうまくいったときに、彼らは神様に背を向けて、偶像を礼拝しました。しかし、困った時には、彼らは偶像を捨てて、もう一度神様に仕え始めて、「助けてください」と叫びました。

私は彼らに対しての神様のあわれみを信じられません。神様は彼らの心をよく知っておられました。そして、神様は言われました。

行け。そして、あなたがたが選んだ神々に叫べ。あなたがたの苦難の時には、彼らを救うがよい。(士師記10:14)

けれども、彼らが神様に叫び続けたから、結局、

主は、イスラエルの苦しみを見るに忍びなくなった。(士師記10:16)

そして、救い主を送ってくださいました。

私たちはどうでしょうか。イスラエル人のように、私たちも神様に対して気まぐれでしょうか。全てうまくいくときに、神様を無視して、自分自身に仕えるでしょうか。そして、ただ困ったときに、神様に戻って、「助けて!」と叫ぶのでしょうか。

もしくは、いつも神様に対して忠実でしょうか。

私はダビデの祈りが大好きです。彼は祈りました。

私の心を一つにしてください。(詩篇86:11)

有名なクリスチャンアウグスティヌスという人はこう言いました。

私の魂が安心な場所はあなたしかありません。そして、私の中でばらばらのものをまとめてください。なぜならば、私の中にあなたから離れる部分がないように望むからです。

時々、あなたが私の中で働くとき、つまり、私のばらばらな魂をあなたに近づけるとき、言葉で言い表せない感情を与えてくれます。それは本当に素晴らしい喜びです。そのような喜びは今まで経験したことがありません。

それが一時的なものではなく、永遠に続く感情になったら、それがこの世界のものではなく、この世界からの経験でもないことがわかります。(告白10)

神様に対して、私たちが気まぐれな心を持たないように。むしろ、私たちはいつも忠実な心を持って、神様に仕えるように。