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サムエル記第一のデボーション

自分が良いと思う通りに生きる?

すると兵は言った。「あなたが良いと思うようにしてください。」

しかし祭司は言った。「ここで、われわれは神の前に出ましょう。」(サムエル記第一14:36)

そのことばを読んだとき、昨日の説教を思い出しました。

私の牧師は、すべてのことを神様の支配下に置くことの大切さを語っていました。つまり、好き勝手に行動するのではなく、神様を求め、御心に従うことです。

サウルはそうしなかったため、最終的に彼の統治は崩れてしまいました。

しかし、自分が良いと思う通りに行動してしまうのは自然なことです。好き勝手に時間やお金を費やすのは簡単ですし、自分の目に良く見えることをすぐに選んでしまいます。

けれども、それは神様の支配下に生きている姿ではありません。

だからこそ、神様は私にこう語っておられると思います。「決断するときに、わたしのこころをもっと求めなさい。」

特に、経済のことをもっと考えなければなりません。献金だけでなく、私の経済全体を神様の支配下に置くべきです。自分が良いと思う通りにお金を使うのではなく、神様の御心に従って用いるべきです。

あなたはどうでしょうか。神様はあなたに何を語っておられるでしょうか。

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ヨエル書

決断の谷、裁きの谷

さばきの谷には、群集また群集。主の日がさばきの谷に近づくからだ。(ヨエル書3:14)

この日本語の翻訳と英語の翻訳には少し違いがあります。日本語では「裁きの谷」と訳されていますが、英語では「決断の谷」と訳されています。

おそらく、英語の翻訳のほうが文字通りの表現ですが、日本語の翻訳を読むと、ヨエルの意図がよりよく理解できると思います。

なぜなら、主の日が来ると、主に従うかどうか決断する時間はもう残されていないからです。

この箇所では、人々はすでに決断しています。つまり、国々は神様に反抗し、神様とその民に戦いを挑むためにその谷に来ました。彼らは神様と戦うために来たと思っていますが、実際には神様の裁きの場に来ているのです。

そして、神様はこう言われます。

わたしが、そこで、回りのすべての国々をさばくために、さばきの座に着くからだ。(12)

だから、「決断」というのは人々の決断ではなく、神様の決断です。つまり、神様はこの反抗的な人々を裁かれるのです。 その日、彼らはイエス様に背を向け、イエス様を踏みつけたため、永遠の罰を受けることになります。へブル人への手紙の著者が言ったように、

私たちは、「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする」、また、「主がその民をさばかれる」と言われる方を知っています。生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。(へブル10:30-31)

それは恐ろしいことですが、真理です。

しかし、もしあなたが神様に向かい、イエス様をあなたの主として認めるならば、神様はあなたの罪を赦してくださいます。神様はこう言われました。

わたしは彼らの血の復讐をし、罰しないではおかない。主はシオンに住む。(ヨエル3:21)

だから、私たちは裁きの谷に来る前に決断しなければなりません。それは、イエス様を主として認めるか、それとも神様に背を向け続けるかということです。

神様に向かうならば、神様はあなたに赦しと祝福を注がれるのです。けれども、そうしなければ、裁きが訪れるのです。

あなたはどのように決断しますか。