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ヨハネの福音書 ヨハネ7章 ルカの福音書 ルカ9章

裁きの時間。憐れみの時間。

前回の記事でも書きましたが、私たちが真理を伝えると、私たちを憎む人もいます。

とはいえ、真理を伝えると同時に、私たちの態度と言葉遣いに注意しなくてはなりません。

この箇所では、その理由をはっきり見ることができます。

仮庵祭りのため、イエス様の兄弟たちは先にエルサレムへ向かいましたが、イエス様はしばらくとどまられました。どのくらい待たれたのかは分かりませんが、結局イエス様もエルサレムへ向かわれました。

この時から、イエス様のミニストリーのほとんどはユダヤとエルサレムで行われました。そして、十字架で死なれるまで、あと6っか月ほどの時間しか残されていませんでした。

けれでも、エルサレムへ向かう前に、イエス様は再びサマリヤを通ることを選ばれました。イエス様は以前に一度サマリヤを訪れ、そのとき多くのサマリヤ人がイエス様を受け入れ、信じました。(ヨハネ4章)

ところが、今回は、サマリヤ人たちはイエス様を拒絶しました。その理由は、イエス様がエルサレムへ向かっていたからです。

サマリヤ人とユダヤ人の間にはまだ深い敵意が残っていました。サマリヤ人たちはユダヤ人の祭りで歓迎されることがなかったため、イエス様がその祭りへ向かうと知ると、彼らはイエス様を拒絶したのです。

イエス様の弟子たちは、このサマリヤ人たちの反応を見て激怒しました。サマリヤ人たちはイエス様から何も受けるに値しないのにもかかわらず、イエス様は彼らを訪ねようとされました。それにもかかわらず、サマリヤ人たちはイエス様を拒絶したのです。

他の町に住むサマリヤ人たちがイエス様を受け入れたことで、弟子たちは彼らに対して寛容な態度を取るようになりました。

けれども、この町の人々がイエス様を拒絶したとき、ヤコブとヨハネはイエス様にこう申し出ました。

主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。(ルカの福音書9:54)

おそらく、彼らはエリヤの話を思い浮かべていたのでしょう。エリヤが軽蔑されたとき、天から火を呼び下し、その人々を滅ぼしたという出来事です。(列王記第二1章)

しかし、イエス様は彼らを叱責されました。

なぜでしょうか。おそらく、裁きの時はまだ来ていなかったからです。イエス様は人々を救うために来られました。(ヨハネ3:17)

私たちは、イエス様の心を持つべきです。もちろん、イエス様を拒絶する人々に対して、いつか裁きの日が来ます。

とはいえ、その日はまだ来ていません。その日が来るまで、私たちは彼らの救いのために祈り、働く必要があります。そして、愛をもってイエス様が与えてくださった真理を伝えなければなりません。そのとき、神様の恵みによって人々は救われるのです。

周囲の人々の罪がどれほど酷くても、彼らが滅びることを私たちは喜ぶべきではありません。

イエス様もそのようなことを喜ばれません。彼らが永遠の命を得るために、イエス様は十字架で命を捧げられたのです。

罪人に対して、私たちはイエス様の心を持っているでしょうか。

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イザヤ書

なぜ、義人は滅びるのか

私の父は、2011年に亡くなりました。その最後の週、私の家族は父のベッドの隣で見守っていました。

実は、私の心はその日のために約10年間準備していました。なぜなら、父の心臓は弱かったからです。それに、彼は糖尿病を患っており、他にもいくつか健康上の問題がありました。父がこれほど長く生きてくれたことは、私にとって驚きでもありました。

幸いなことに、父が亡くなったとき私はハワイにいました。私はずっと日本に住んでいるので、いつも心配していたのは、ある日突然、姉から「父が亡くなったよ」と電話で知らせを受けることでした。

けれども、神様のタイミングと御心によって、父が亡くなったとき、私はハワイにいることができました。

それはもちろん辛い出来事でしたが、それでもやはり、私はハワイにいられて本当に良かったと思います。

時々、人々は「どうして私たちは死ななければならないのだろうか」と尋ねます。

この箇所で、神様はその答えを私たちに示してくださいます。

義人が滅びても心に留める者はなく、誠実な人が取り去られても、心を向ける者もいない。

まことに、義人はわざわいから取り去られて、平安に入り、まっすぐに歩む人は、自分の寝床で休むことができる。(イザヤ書57:1-2)

この世界は死にかけています。この世界は罪によって堕落してしまいました。そのため、私たちは地震や他の天災を目にするだけでなく、罪に堕ちた人々の姿も目の当たりにしています。このように、この世の人々は壊れてしまいました。

そのような状態で、あなたはいつまでも生き続けたいと思うでしょうか。私はそう思いません。

私の父は、悪い健康状態に苦しんでいました。そのため、私は父がそのままの状態で長く生き続けることを望みませんでした。しかし、神様が父を御許に迎えてくださったことに、私は感謝しています。

もちろん、私は寂しい気持ちがあります。それでも今、父はもっと良い場所にいます。壊れて死にかけていた父の体は新しくされます。

さらに、父には今、平和があります。父は安らかに休んでいます。そして、父はイエス様の顔を見ているのです。そのことを考えると、私は少しうらやましい気持ちさえ抱きます。

私の言葉を誤解しないでください。すぐにこの世を離れたいと思っているわけではありません。天国に行ったら、私が喜んで手放すものがたくさんあります。苦しみ。痛み。罪。

そして、神様のタイミングが来たら、私は喜んで天国に行きます。

私が亡くなる時、私の墓石にこの言葉を書いてほしいです。

「ブルースのために泣かないでください。ブルースはこのお墓にいないから。」

イエス様の十字架の働きを信じる人々にとっては、死は本当にとげがないです。(第一コリント15:55)

あなたはどうですか。死のために準備しているでしょうか。