ある日、私はA Praying Lifeという本を読みました。残念ながら英語版しかありませんが、英語ができるなら、ぜひ読んでみてください。私は本当にその本をお勧めします。
とにかく、その本では、著者は神様の本質の二つについて話します。
一つ目は、神様が無限の方であることです。
二つ目は、神様が私たちに近い方であることです。
神様について考えるとき、両方のことを覚えていなければなりません。そうしないと、私たちの祈りは影響を受けます。
もし神様が無限の方であることを忘れたら、私たちの心の中で神様の力を制限してしまいます。もちろん、神様は何でもできるのですが、私たちがそう思わないなら、祈ることができません。
その反面、もし私たちが神様が私たちに近く、私たちを本当に愛していることを忘れたら、私たちは祈りません。なぜなら、「神様はこの小さいことに興味がないだろう」と思い始めるからです。
しかし、神様は私たちの人生の細かいことにも興味を持っておられます。そう思わないなら、もう一度詩篇139篇を読んでください。
詩篇145篇では、ダビデが両方のことを覚えていたことが分かります。最初に、彼は神様の偉大さについて歌います。
主は大いなる方。大いに賛美されるべき方。その偉大さを測り知ることができません。
代は代へと、あなたのみわざをほめ歌い、あなたの大能のわざを告げ知らせるでしょう。
私は栄光輝くあなたの主権と、あなたの奇しいわざに思いを潜めます。(詩篇145:3-5)
けれども、何度も、彼は私たちに対する神様の愛について歌います。
主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。(8)
また9節です。
主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。(9)
そして13-16節で、彼はこう歌います。
あなたの王国は、永遠にわたる王国。あなたの統治は、代々限りなく続きます。
主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。
すべての目は、あなたを待ち望んでいます。あなたは時にかなって、彼らに食物を与えられます。
あなたは御手を開き、すべての生けるものの願いを満たされます。(13-16)
また、18-20節で、彼はこう歌います。
主を呼び求める者すべて、まことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられる。
また主を恐れる者の願いをかなえ、彼らの叫びを聞いて、救われる。
すべて主を愛する者は主が守られる。(18-20)
ダビデはそのことをすべて信じたので、この詩篇の最初で、彼はこう叫びました。
私の神、王よ。私はあなたをあがめます。あなたの御名を世々限りなく、ほめたたえます。
日ごとにあなたをほめたたえ、あなたの御名を世々限りなく賛美します。(詩篇145:1ー2)
あなたはどうでしょうか。神様が無限の方であることを信じていますか。神様があなたの人生に立ちはだかる山に取り組むことができると信じていますか。また、神様があなたの敵に向き合うことができると信じていますか。
そして、神様があなたを愛しておられるゆえに、あなたを助けてくださるという確信がありますか。
神様の無限のご性質と深い愛を、決して忘れることのないようにしましょう。
