「あなたが幸せになったときには、どうか私を思い出してください。私のことをファラオに話して、この家から私が出られるように、私に恵みを施してください。」
。。。ところが、献酌官長はヨセフのことを思い出さないで、忘れてしまった。(創世記40:14、23)
献酌官長がヨセフのことをすっかり忘れてしまったとき、ヨセフはどれほど失望していたことでしょうか。
ヨセフが言った通りに献酌官長が自由にされ、元の地位に戻されたとき、ヨセフはその最初の数日間、どれほど希望を持っていたことでしょうか。
でも、数日が過ぎました。数週間が過ぎました。ヨセフの状況はまったく変わりませんでした。
人間は不完全な存在です。人々が私たちをがっかりさせることもあります。
でも良い知らせは、神様が私たちのことを忘れないということです。
39章には、「神様はヨセフと共におられた」と4回書かれています。
ヨセフは神様の臨在を感じ取れない時もあったかもしれませんが、神様はいつもヨセフと共におられました。
数千年後、もう一人の人が叫びました。「どうか私を思い出してください」と願いました。
十字架の上で、イエス様はその人にこう言われました。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカ23:43)
でも、献酌官長と違って、イエス様はその人を思い出し、天の父のもとで、その人のためにとりなしてくださいました。
そのように、イエス様は私たちのためにもとりなしてくださいます。(へブル7:22〜25)
だから、私たちはどんなに苦しんでいても、イエス様にある希望にしがみつきましょう。
