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テモテへの手紙第ー

生きていながら、死んでいる?

ここでパウロは、特にやもめたちについて語っています。けれども、そのことばは、私たちすべてに当てはまる教えでもあります。

パウロが、教会がどのようなやもめを支えるべきかを語ったとき、こう述べました。

身寄りのない本当のやもめは、望みを神に置いて、夜昼、絶えず神に願いと祈りをささげています。。。(テモテへの手紙第一5:5)

要するに、教会は、支えてくれる人がいない敬虔なやもめを支えるべきです。そのやもめは、良い行いや、仕える姿勢、助ける行動によって知られている人であるはずです(9-10節)。

彼女たちは年配で、夫を失った後も、できる限り人に仕え続けた人々でした。自分をかわいそうだと思わず、自分のことだけを考えることもありませんでした。むしろ、神様を待ち望み、イエスの御名によって人々に触れようと努めたのです。

しかし、パウロは続けて語ります。

自堕落な生活をしているやもめは、生きてはいても死んでいるのです。(6)

やもめたちだけでなく、多くの人々は、あるときこう考え始めます。「私はずっと人に仕えてきました。これからは、自分のために生きます。」

引退の時にそう考える人もいれば、引退の前からそう考える人もいます。けれども、それは非常に自己中心的な生き方です。神様の目から見れば、もしそのような生活を送っているなら、たとえ生きていても、すでに死んでいるのです。

神様が私たちをキリストとともに復活させてくださったのは、私たちが自分のために生きるためではありません。むしろ、パウロはコリントの人々に、こう語りました。

キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。(第二コリント5:15)

自分のためだけに生きることは、本当のいのちではありません。それは死へと向かう生き方です。

私たちは、自分自身から目を離し、神様に心を向けるとき、神様が周りの人々の人生の中で何をしようとしておられるのかを理解することができます。そして、そのとき初めて、私たちは本当のいのちを知ることができるのです。

では、あなたはどうでしょうか。あなたは何に焦点を当てて生きていますか。自分の人生でしょうか。

それとも、神様や他の人々があなたのためにしてくれることばかりを考えてはいませんか。もしそうであるなら、あなたは生きていても、実際には死んでいるのです。

神様はあなたに、もっと良いものを望んでおられます。ですから、自分から目を離し、私たちに新しい命を与えてくださった神様に向かって生きましょう。そして、その新しい人生を歩み始めましょう。

あなたは、誰のために生きていますか。