主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。
あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。(ぺテロの手紙第一2:4ー5)
今朝、上のことばを読んだとき、「ぺテロはローマ書にあるパウロのことばを考えていただろうか」と思いました。
ぺテロは、きっとパウロの手紙を読んだことがあったのでしょう。(第二ぺテロ3:15〜16)
さらに、ぺテロのことばは、ローマ12:1にあるパウロのことばに似ていました。
ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。
それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
ぺテロは、「生ける石として、また、聖なる祭司として、神に喜ばれる霊のいけにえを捧げなさい」と言いました。
パウロは、「自分のからだを神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい」と言いました。
また、パウロは、「神のあわれみによってそうしなさい」と言いました。
ぺテロは、具体的にそのあわれみについて語りました。
しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。
それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。
あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。(9ー10節)
だから、今日、私はこう祈りました。
天のお父さん、私は、あなたがいつくしみ深い方であることを味わいました。
あなたは私をご自分のものにして、闇の中からご自分の驚くべき光の中に召してくださいました。
私は以前はあわれみを受けたことがなかったけれど、今はあわれみを受けて、溢れています。
私は以前は羊のようにさまよっていました。でも今や、あなたのめぐみによって、私はたましいの牧者であり、監督者である方のもとに帰りました。
だから、私の人生をあなたに捧げます。私が暗闇に囚われた人々に、あなたの栄誉を告げ知らせることができるように。
私の人生、私のすべてのことば、思い、行動が、あなたに聖なるもの、喜ばれる礼拝となるように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
