イエス様と弟子たちが二階の大広間を出られると、イエス様は彼らにこう尋ねられました。
わたしがあなたがたを財布も袋も履物も持たせずに遣わしたとき、何か足りないものがありましたか。(ルカの福音書22:35)
その以前、イエス様は弟子たちをイスラエル各地に福音を述べ伝えるために二度遣わされました。(ルカ 9ー10章)
その際、イエス様は、彼らに何も持たず、訪れる町の人々のもてなしに頼るよう命じられました。
イエス様の人気が最高潮に達していたころ、人々は弟子たちの必要を満たしてくれました。時には弟子たちが敵対的な人々に出会うこともありましたが、彼らを歓迎する者もいました。(ルカ 22:35b)
ところが、状況は変わりました。イエス様は「不法な者たちとともに数えられた」ため、彼らに敵対する者が増えていったのです。(37ー38)
かつて弟子たちを歓迎していた人々は、もはや彼らを迎え入れませんでした。そこで、イエス様は弟子たちに警告を与えられました。
しかし今は、財布のある者は財布を持ち、同じように袋も持ちなさい。剣のない者は上着を売って剣を買いなさい。(ルカの福音書22:36)
つまり、「これから、私についていくことは非常に危険です。だから、十分に用心しなさい。」ということです。
弟子たちは答えました。
主よ、ご覧ください。ここに剣が二本あります。(38)
要するに、「心配しないでください。誰かが私たちを攻撃したら、私たちは反撃できます。」ということです。
実際、ゲツセマネでペテロはそれを実行しようとしました。
けれども、イエス様はこのよいに答えられました。
それで十分。(38)
私は確かではありませんが、もしかすると、イエス様がそれを言われたとき、少し憤りを感じられたかもしれません。なぜなら、イエス様の意図は、暴力に暴力で対抗することではなかったからです。
むしろ、イエス様の本当のメッセージは、「敵対する人に出会うとき、自分の心を整えなさい」ということでした。
イエス様は、私たちにも同じことを語られます。
後にヨハネの福音書で私たちは読むことになりますが、イエス様は弟子たち(また私たち)に警告されました。
「私のために、人々はあなたを憎みます。彼らはあなたを迫害します。そのとき、驚いてはいけません。」
もちろん、私たちはノンクリスチャンを愛し、福音を伝えるべきです。とはいえ、同時に私たちは警戒しなければなりません。
イエス様のために、私たちを憎む人もいます。私たちを裏切る人もいます。私たちを傷つける人もいます。そして、私たちが愛している者でさえ、そうするかもしれません。
だからこそ、イエス様の言葉を心に刻みましょう。
いいですか。わたしは狼の中に羊を送り出すようにして、あなたがたを遣わします。
ですから、蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい。人々には用心しなさい。(マタイ10:16-17)
