男とは何でしょうか。
30年前、私は興味深いアメリカの記事を読んだことがあります。その記事によれば、アメリカには「本当の男」がほとんどいなかったそうです。つまり、多くの男性が弱虫だとされていました。
ある女性はこう言いました。「アメリカには、他の国よりも弱虫が多いと思います。多くの若い男性たちは弱虫です。私が知っている男性たちの大部分は弱虫です。」
それは本当に辛い言葉です。では、今はどうでしょうか。「本当の男」はいるのでしょうか。
「本当の男」とはどんな男性を指すのでしょうか。相手をいじめる人でしょうか。威力を振るう人でしょうか。それとも、相手に自分の意志を押し付ける人でしょうか。
この箇所では、その答えを見つけることができると思います。イザヤは正義によって治める王について語っています。
ヒゼキヤについて述べているのかもしれませんが、将来の王、つまりイエス様についても語っていると思います。
そして、その王(と首長)についての記述を通して、本当の王とは何か、また本当の男とはどういう人かが分かると思います。
彼らはみな、風を避ける避け所、あらしを避ける隠れ場のようになり、砂漠にある水の流れ、かわききった地にある大きな岩の陰のようになる。(イザヤ書32:2)
つまり、「本当の男」とは、神様が彼に委ねられた人々を守る者です。嵐が訪れても、彼はその民を守ります。彼は水の流れのように人々を潤し、リフレッシュさせます。
気短な者の心も知識を悟り、どもりの舌も、はっきりと早口で語ることができる。
もはや、しれ者が高貴な人と呼ばれることがなく、ならず者が上流の人と言われることもない。(3-4)
この箇所によれば、本当の男とは教師です。彼の言葉を通して、相手の耳と目が開かれ、彼らは真理を理解できるようになります。その結果、彼らの人生は変えられます。
そして最後に、イザヤは次のように言いました。
しかし、高貴な人は高貴なことを計画し、高貴なことを、いつもする。(8)
つまり、「本当の男」とは、神様の目にかなう計画を立て、神様の目にかなうことを行う人です。
けれども、6~7節では、イザヤは違う種類の男性について述べています。
その男性は、恥ずべき言葉を語り、悪事を企むだけでなく、それを実行します。さらに、神様とその心について誤った教えを広めます。
また、相手を潤すこともなく、必要なものを与えず、人々を励ますどころか、自らの言葉と行動によって相手を滅ぼしてしまいます。
父として、夫として、私が自問しなければならないのは、「私はどんな男なのか」ということです。
私は、しばしば自分の失敗に気づかされます。神様は私を男として生きるように召してくださいましたが、私はなお、男として成長し続けなければなりません。
しかし、イエス様こそが本当の男でした。私がこれまで成し得なかったことを、すべて成し遂げられた方です。
イエス様は私の弱さをよく知っておられ、私の誘惑も深く理解しておられます。
ヘブル人への手紙の著者は次のように書いています。
さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(へブル4:14-16)
イエス様の再臨まで、私はその恵みの御座に近づきます。
男性の皆さん。あなたはどのような男でしょうか。イエス様のような男でしょうか。
女性の皆さん、特にシングルの女性たち。どのようなボーイフレンドと付き合っていますか。また、どのような伴侶を探していますか。イエス様のような人を求めていますか。
