今日の箇所は、「男らしくふるまうこと」について語られています。神様は、男性たちにどのように振る舞うよう勧めておられるのでしょうか。
第1〜4節では、パウロはテモテを通して、エペソの人々に祈るように勧めました。前回の記事でも述べましたが、この霊的な戦いに参加し、人々をイエス様に導きたいと願うなら、私たちの最初のステップは「祈り」です。
そして、パウロは第8節でこう言いました。
そういうわけで、私はこう願っています。男たちは怒ったり言い争ったりせずに、どこででも、きよい手を上げて祈りなさい。(テモテへの手紙第一2:8)
この箇所で、パウロが語っているのは女性たちではなく、男性たちに対してです。言い換えれば、パウロはこう語っているのです。「男らしく、神様から与えられた責任を果たしなさい。」
では、その責任とは何でしょうか。それは、教会で主導権を持つことです。特に、祈りにおいてリードすることです。
もちろん、女性たちも祈るべきです。けれども、パウロは男性たちにこう語ります。「教会の皆が祈るとき、しっかりとリードしなさい。祈りの働きを女性たちに任せきりにしてはいけません。あなたたち自身が祈りなさい。そして、祈る人の模範となりなさい。」
残念ながら、当時のエペソの男性たちは、そのようにしていなかったようです。むしろ彼らは、無駄な作り話や系図について論じ合っていました。
そのような議論は、プライドや間違った教えへとつながっていったのです。終わりのない議論によって、彼らは教会の中で多くの「熱」は生みましたが、「光」はあまり生み出しませんでした。
しかも、彼らは祈りを共にすることさえ忘れてしまっていたのです。
サタンはそれを見て、ほくそ笑んだことでしょう。
しかし、私たち男性は、どれほどそのようにしているでしょうか。もちろん、私たちは系図や作り話について議論するわけではありません。けれども、どれほど私たちはミニストリーのやり方や、あらゆるくだらない事柄について議論しているでしょうか。
それだけではありません。私たちは互いを傷つけ合い、争うことで、一致を失ってしまいます。さらには、祈りを共にし、使命を果たすことすら忘れてしまうほどに、私たちは争ってしまうのです。
では、私たちの使命とは何でしょうか。それは、迷っている世界に福音を宣べ伝えることです。だからこそ、サタンは私たちを見て、あざ笑うのです。
家庭においても、多くの夫たちは男らしくふるまっていません。私たちは霊的なリーダーシップを妻たちに任せてしまいます。家庭の中で、聖書を読み、祈ることにおいてリードせず、 その責任を妻に委ねてしまっているのです。
また、私たちは妻たちのために祈らず、妻たちと共に祈らず、 その代わりに、重要なことについても、些細なことについても争ってしまいます。
私たちは、謙遜と愛と赦しの模範とはなっていません。むしろ、プライドや苦々しい思い、怒りにしがみついてしまうのです。だからこそ、サタンは私たちを見て、嘲笑うのです。
あなたはどうでしょうか。男性であるなら、神様はあなたに「男らしくふるまいなさい」と召しておられます。あなたはその召しに応えているでしょうか。
もしそう願うのなら、最初のステップは、膝をついて祈ることです。それは日々行うべきことです。あなたは、今日もそうしているでしょうか。
