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箴言

知恵を持って、話す

箴言では、ソロモンは、しばしば私たちの言葉に関する知恵を伝えます。特に、箴言15章では、ソロモンは私たちの言葉について話します。

柔らかな答えは憤りを静める。しかし激しいことばは怒りを引き起こす。(箴言15:1)

人々が私たちに怒るとき、時々彼らは私たちに酷いことを言います。そして、私たちが酷いことを言い返すのは本当に簡単なことです。けれども、そうすれば、その人はもっと怒り狂い、その問題は解決できなくなります。

しかし、多くの場合、あなたが「ごめんなさい」と言いさえすれば、彼らは落ち着きます。

「でも、私は悪くなかった。どうして謝らなければならないのか。」と言う人もいます。

けれども、時々、私たちは思わず私たちの言葉や行動によって彼らを傷つけてしまいます。あなたは相手が敏感すぎると思うかもしれません。それに、彼らは実際に敏感すぎるかもしれません。

そんな場合、私はこう言います。「ごめんなさい。あなたを傷つけるつもりはなかったけど、申し訳ありません。許してくれませんか。」

そして、その以降、私の行動と言葉に気を付けます。私が悪くなかったと思うかもしれませんが、相手の気持ちを認めて、その人に対する愛のため、またキリストに対する愛のため、彼らを傷つける言葉や行動を避けます。

ある日、私はメールを友達に送って、ちょっとその人をからかいました。彼女は爆発して、酷い返事を送りました。

そんな反応は私を驚かせました。 私は悪意を持って彼女をからかったつもりはありませんでした。 以前から何度も同じようなことを言ったことがありましたが、彼女は怒らずに笑っていたのです。

だから、彼女の返事を読んだとき、私は信じられませんでした。

けれども、私にとって大切なのは、私が悪かったかどうかではありませんでした。 私たちの友情こそが何よりも大切だったのです。 だから、私はすぐに謝り、彼女は落ち着きました。

今でも、私たちは良い関係を保っています。 しかし、あれ以来、彼女と話すときには、どんな冗談を言うかに気を付けています。

実は、あれ以来、誰と話すときも、自分の冗談に気を付けるようにしています。

ソロモンは4節で続きます。

穏やかな舌はいのちの木。偽りの舌はたましいの破滅。(4)

私たちの口から、どんな言葉が出るでしょうか。私たちの言葉は相手の傷を癒すでしょうか。それとも、その言葉は相手の魂を砕くでしょうか。

実は、私がその友達に謝った理由の一つは、以前、彼女が自分のお父さんについて話してくれたことです。

つまり、彼はいつも彼女とそのお母さんに酷いことを言っていました。そして、彼女たちが傷ついたときに、彼はいつも「お前たちが繊細すぎる」と言いました。

そのとき、彼は彼女たちの魂を砕いていました。ですから、私は彼の態度を真似したくなかったのです。

ソロモンは続いて、もっとポジティブなことを言います。

良い返事をする人には喜びがあり、時宜にかなったことばは、いかにも麗しい。(23)

私たちはそのような人になるべきです。人を傷つけることを喜ばず、時宜にかなった言葉で人を励ますことを喜ぶべきです。

ソロモンはもう一つのことを言います。

正しい者の心は、どう答えるかを思い巡らす。悪者の口は悪を吐き出す。(28)

あなたはどうですか。話す前に、あなたの言葉を思い巡らすでしょうか。その言葉が癒す言葉かどうか、またその言葉が命を与える言葉かどうか、確認するでしょうか。

それとも、あなたの口から悪を吐き出すでしょうか。

あなたの口から何が出るでしょうか。

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箴言

人を傷つける言葉、人を癒す言葉

箴言12章では、18節と25節が私の心を打ったので、その箇所に焦点を当てようと思いました。

ソロモンはこう言いました。

軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす。(箴言12:18)

どれくらいあなたの軽率な言葉によって、愛する人を傷つけたことがあるでしょうか。また、どれくらい相手の軽率な言葉によって、傷つけられたことがあるでしょうか。

特に、喧嘩するときに、私たちはお互いを傷つけ合ってしまいます。だから、喧嘩するときには、何を言うか気を付けなければなりません。

基本的に私たちは相手を侮辱してはいけません。

「あなたは馬鹿だね。何でそんなことをしたの?」

「あなたは敏感すぎ。」

「あなたはあまりにも感情的だよ。」

時々私たちは相手について大げさに言います。

「あなたは決して手伝ってくれない。」

「いつも遅く帰って来るなぁ。」

そんな言葉を言うと、その問題が解決できません。むしろ相手は怒って、残酷な言葉で言い返してしまいます。そして、ソロモンが言ったように、そんな言葉は剣のように心を刺します。

冗談を言う時や皮肉を使う時にも、気を付けなければなりません。時々、誰かをからかって、思わずその人を傷つけてしまうことがあります。私にもそんな経験があって、後悔しています。

私たちの言葉によって人を癒すはずですが、どれくらい私たちは彼らを傷つけてしまうのでしょうか。

25節では、ソロモンはこう言います。

心に不安のある人は沈み、親切なことばは人を喜ばす。(25)

以前言ったように、私たちは人々をからかって、思わずに彼らを傷つけてしまうことがあります。相手を傷つけなくても、あなたは彼らを励ましてあげていないかもしれません。

彼らを愛によって励ました方が良いのではないでしょうか。彼らが悩んでいるときに、彼らを励ますとしたら、どうでしょうか。

また、「あなたのために祈りましょうか」と言えば、どうでしょうか。

神様は私たちがそんな人になることを望んでおられます。イエス様はそのような方でした。

あなたはどんな人でしょうか。

あなたの言葉は人々を傷つけるでしょうか。彼らを癒すでしょうか。

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列王記第二

決して遅すぎない

北イスラエル王国の歴史では、すべての王が悪い王でした。エホアハズ王も例外ではありませんでした。

彼は父エフーと同じように主に仕えることなく、金の子牛を礼拝しました。

そのため、神様はイスラエルをアラム人の手に渡されました。イスラエル人がアラム人と戦ったとき、エホアハズには騎兵五十、戦車十台、歩兵一万だけの軍隊しか残されていませんでした。

しかし、他のイスラエルの王たちとは異なり、エホアハズは悔い改め、神様を求め始めました。だから、

主はこれを聞き入れられた。アラムの王のしいたげによって、イスラエルがしいたげられているのを見られたからである。

主がイスラエル人にひとりの救い手を与えられたとき、イスラエルの人々はアラムの支配を脱し、以前のように、自分たちの天幕に住むようになった。(列王記第二13:4-5)

この話から私たちは、神様に悔い改めるのは決して遅すぎない、ということを学ぶことができます。

どんなに罪深い過去であっても、もし神様を求めるなら、神様は私たちを受け入れ、癒してくださいます。

私たちの行動によって神様が怒られることがあっても、私たちが悔い改めるなら、神様はすぐに憐れみを与えてくださいます。

あなたも、もう希望がないと思っていますか。もう神様があなたを受け入れてくださらないと思っていますか。

神様が赦すことのできない人は一人も存在しません。

また、神様が癒すことのできない人も一人も存在しません。

ヤコブが言ったように、

主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。 (ヤコブ4:10)