私は日曜学校とバイブル・クラブでギデオンの話を聞いた時に、二つの話しか聞いていませんでした。一つはギデオンと神様の出会い。そして、ギデオンのミデヤン人との戦いです。
けれども、私の先生はギデオンの暗い面について全然話していませんでした。それでも、ギデオンには暗い面がありました。
ガドの話を読んで、その暗い面が見えます。この箇所でも、その暗い面が見えます。
この箇所は積極的に始まります。イスラエル人はギデオンに「私たちの王になってください。あなたはミデヤン人から救ってくださったから。」と言いました。
けれども、ギデオンは答えました。「私ではなくて、神様があなたの王です。神様はあなたの支配者です。」
ところが、その後で、ギデオンは言いました。「ちょっとお願いがあります。少し金が欲しいのです。また、ミデヤンの王の赤紫の衣をください。あ、もう一つお願いがあります。その王の首飾りをお願いします。」
その後で、その金からエポデを作りました。どうしてそうしたのか、私には分かりません。
エポデは神様の祭司のためのものでした。祭司たちは神様と相談するときに、エポデを使いました。だから、その行動を通して、ギデオンは祭司の義務を取ったみたいです。
ギデオンは、もう一つのことをしました。他の国々の王のように、ギデオンはたくさんの女の人と結婚して、息子が70人いました。一人の息子をアビメレクと名づけました。その名前の意味は、「私の父は王です」という意味です。
どうして、ギデオンはそうしたのでしょうか。私は分かりません。ただ考えるに、その時代、「私の父」という表現は、時々神様に対して使われました。だから、ギデオンが以前言ったように、「神様は私の王」と言いたかったかもしれません。
そして、イスラエル人に神様に仰ぐことを思い出させるためにエポデを作ったかもしれません。
しかし、彼のすべての行動を見たら、彼の動機がちょっと疑わしいと思います。
彼は、「私はこの良いことに相応しいだろう?私は王のように生きたら、いいんじゃない?私はすごいことをしたから。良いものをもらったら、いいんじゃない?」と考え始めたかもしれません。
けれども、その態度は何に導いたのでしょうか。
一つ目は、そのエポデはギデオンとその一族にとって、落とし穴になったことです。なぜならば、イスラエル人はそのエポデを礼拝し始めたからです。
二つ目は、その態度はギデオンの家族の中でトラブルに導きました。つまり、一人の本当に悪い、また神様を恐れない息子がいました。
私たちが物と地位を追うなら、それは危ないことです。もし、それが私たちの優先事項になったら、私たちの人生を罪と災害に導くかもしれません。
「でも、私はその良いものに相応しいでしょう?私はたくさんの良いことをしたから。報酬を受けたら、いいんじゃない?」
そのように考えるのは簡単なことです。しかし、私たちのすべての持っているものが神様から来たことを思い出さなくてはなりません。もし、神様が私たちに才能と物質的な豊かさをくださらなかったら、私たちは何もできないでしょう。
だから、私たちは謙遜な態度を取ったほうがいいです。また、私たちに値するものを求めるべきではありません。
むしろ、私たちが値するものが死であることを思い出したほうがいいです。しかし、神様は私たちに恵みとあわれみを与えてくださいました。ただ、その恵みとあわれみによって、私たちは良いものを持っています。
あなたはどうですか。あなたが値するものを求めていますか。それとも、神様に対して謙遜と感謝の心を保っていますか。
