そのとき、大祭司ヒルキヤは書記シャファンに、「主の宮で律法の書を見つけました」と言った。
そしてヒルキヤがその書物をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。。。
シャファンは王の前でそれを読み上げた。王は律法の書のことばを聞いたとき、自分の衣を引き裂いた。(列王記第二22:8,10-11)
今週、私はヨハネ15章を反芻しています。そして、神のみ言葉が私たちにとどまるとはどういう意味かを考えていました。
もちろん、神のみ言葉が私たちにとどまるためには、私たちはそのみ言葉を信じ、従わなければなりません。
でも、そのみ言葉を信じて従う前に、もう一つのことをしなければなりません。
私たちは、そのみ言葉を知るべきです。
今日の話では、私たちはその真理を見ます。
神殿の状態は本当にひどいものでした。どうして祭司たちは神の律法の巻物がどこにあるのか、ずっと知らなかったのでしょうか。
ヨシヤは神様に対して柔らかい心を持っていました。神のみ言葉に対するヨシヤの反応は、自分の心を明らかにしました。ヨシヤはそのみ言葉を信じて従いました。
でも、私たちは知らないことを信じて従うことはできません。
あなたは神のみ言葉を知っているでしょうか。
神様の目には、無知は言い訳ではありません。ユダの無知によって、神の怒りと裁きは彼らに下ろうとしていました。
そのように、私たちが神様のみ言葉を信じ、従わなければ、私たちの人生、つまり、私たちの家族やほかの人間関係や経済などは、めちゃくちゃになってしまいます。
でも、私はもう一度言います。信じ、従う前に、神のみ言葉を知らなければなりません。
あなたは毎日、神のみ言葉を読む時間を取っていますか。もしかすると、聖書はあなたの家に、あるいはあなたのスマホに「見当たらない」のではないでしょうか。
