イザヤ書43-44章では、神様はその民にこの真理を教え込んでおられます。「私だけが神です。他に神はいないのです。」
43章には、次のように書かれています。
あなたがたはわたしの証人、――主の御告げ――わたしが選んだわたしのしもべである。
これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、わたしがその者であることを悟るためだ。
わたしより先に造られた神はなく、わたしより後にもない。
わたし、このわたしが、主であって、わたしのほかに救い主はいない。(イザヤ書43:10-11)
そして、44章でも、神様は同じ真理を語られます。
わたしは初めであり、わたしは終わりである。わたしのほかに神はない。(イザヤ書44:6)
多くの人々は、クリスチャンが偏狭な人々だと思います。それは、私たちが他の神が存在するという考えを受け入れないからです。しかし、もしクリスチャンが正しいなら、それは本当に偏狭な態度と言えるのでしょうか。
例えば、もし私が娘に「2+2=4」と言い張ったとしたら、それは偏狭さを表しているでしょうか。
そうではありません。ただ、真理を語っているだけです。
同じように、この聖書の箇所では、神様は何度も、さまざまな方法で、ご自身の唯一性と独特さをイスラエルの民に教えられています。
まず、神様はこう言われました。
わたしが、もう古くからあなたに聞かせ、告げてきたではないか。
あなたがたはわたしの証人。わたしのほかに神があろうか。ほかに岩はない。わたしは知らない。(イザヤ書44:8)
神様はご自身の預言を指されます。何度も神様はイスラエルの民に将来の出来事を預言し、その言葉の通りにそれが実現しました。
さらに、神様はご自身の知識について語られます。神様はこう言われました。「私はすべてを造りました。この世界も、また宇宙も造りましたが、私は他に神を知りません。」
イザヤ書43章では、神様はこう言われます。「私は他の神を造らなかった。また、私より先に造られた神はない。」
そして、44章12-20節では、神様はイスラエルの民にこう語られます。
「考えてみなさい。あなたたちは木材で偶像を造ります。しかし、その木材の残りを使って、自分自身を温めるために燃やします。また、その木材の残りで料理を作ります。それでも、その同じ木材で作った偶像を拝むのですか。
あなたはその偶像の創造者です。それにも関わらず、その偶像に助けを求めるのですか。創造されたものが創造者よりも偉いでしょうか。」
だから、神様はこう言われます。
ヤコブよ。これらのことを覚えよ。イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。わたしが、あなたを造り上げた。あなたは、わたし自身のしもべだ。
イスラエルよ。あなたはわたしに忘れられることがない。
わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。
わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。(イザヤ書44:21-22)
神様がイスラエルの民に語られたのと同じことを、私たちにも語っておられます。
「私だけが神であることを思い出しなさい。私はあなたの創造者です。私はあなたの贖い主です。私のもとに戻ってきなさい。なぜなら、十字架で、あなたの罪のために私は代価を支払ったからです。」
神様だけが真の神であることを心に刻みましょう。他に神はいないからです。