今度、わたしは、あなた自身とあなたの家臣と民に、わたしのすべての災害を送る。わたしのような者が地のどこにもいないことを、あなたが知るようになるためである。
実に今でも、わたしが手を伸ばし、あなたとあなたの民を疫病で打つなら、あなたは地から消し去られる。
しかし、このことのために、わたしはあなたを立てておいた。わたしの力をあなたに示すため、そうして、わたしの名を全地に知らしめるためである。(出エジプト記9:14ー16)
今日、この箇所は私の心を打ちました。神様は裁きをエジプト人たちに注がれましたが、彼らをあわれんでくださいました。
神様は一瞬で彼らを滅ぼすことができましたが、そうされませんでした。
さらに、彼らの命を守るために、雹に関する警告を与えられました。(19)
神様は人々の罪のために御怒りを注がれますが、人々をあわれんでくださいます。
なぜでしょうか。それは、人々が神様を知り、悔い改めることを望まれているからです。
ファラオは傲慢で、モーセに言いました。「私は主を知らない。」(出エジプト記5:2)
それゆえ、神様はご自身がどのような方であるかをファラオに現されました。
つまり、神様は正義の神であり、罪を罰される方です。そして、主はあわれみ深い神であり、主を恐れる者をあわれまれる方です。
私にとって興味深いことは、神様の言葉がラハブの人生に成就したことです。
神様はファラオを生かし、紅海を分け、ご自身の力と御名を周囲の国々に現されました。
その結果、ラハブとその家族は救われました。(ヨシュア記2:8–14、6:25)
ですから、神様が紅海で御怒りをファラオとその軍隊に注がれたことによって、ラハブとその家族は神様のあわれみを受けました。
さらに、ラハブはイエス様の系図に加えられました。(マタイ1:5)
ある意味で、神様はすべての人々をあわれんでくださいます。つまり、神様はこの瞬間、私たちを滅ぼされないということです。しかし、私たちが悔い改めてこそ、救いに至るあわれみを受けるのです。
神様は私たちに警告を与えられます。神様は私たちに悔い改める時間を与えてくださいます。
あなたはどうされますか。
神は言われます。 「恵みの時に、わたしはあなたに答え、 救いの日に、あなたを助ける。」
見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。(第二コリント6:2)