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エペソ人への手紙のデボーション

近い者となった

そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。

しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。。。

このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。

こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なので。(エペソ人への手紙2:12~13)

多分、上記は、私が最も気に入っているエペソ人への手紙の箇所です。その箇所は、クリスマスの意味、つまり、イエス様がこの世に来られた理由を要約しているからです。

私たちは、かつて神様の家族の部外者であり、アブラハムとその子孫への祝福の約束の契約から除外されていました。しかし今、イエス様にあって、かつて神様から遠く離れていた私たちは、近い者となりました。

イエス様の系図を見ると、それがよく分かります。

タマルはカナン人でした。カナン人の罪のため、神様はイスラエル人たちに、カナン人たちを滅ぼすように命じられました。(マタイ1:3;創世記10:15-18,15:16;レビ記18:24-28;申命記7:1-4)

ラハブもカナン人で、遊女でした。(マタイ1:5)

ルツはモアブ人でした。神様はイスラエル人たちに、モアブ人が主の集会に加わってはならないと言われていました。(マタイ1:5;申命記23:3-4)

彼女らは皆、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神様もおられない者たちでした。けれども、彼女らは近い者となり、聖徒たちと同じ国の民となり、神様の家族に加えられました。

私たちも同じです。

クリスマスはもう終わったかもしれませんが、パウロの言葉に思いを巡らしましょう。その言葉を反芻しましょう。

そして、喜びましょう。

私もそうしています。

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テモテへの手紙第ー

神の家族として生きる

牧師として、テモテは自分とは異なる年齢層の人々と接しなければなりませんでした。年上の人々、年下の人々、そして同世代の人々に対しても、慎みと知恵をもって関わる必要があったのです。

そこでパウロは、テモテにこう思い出させました。「あなたは彼らの主ではありません。彼らは、あなたが仕えている神の家族なのです。だからこそ、家族として尊敬と愛をもって接しなさい。」

そしてパウロは、こう語ったのです。

年配の男の人を叱ってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。

若い人には兄弟に対するように、年配の女の人には母親に対するように、若い女の人には姉妹に対するように真に純粋な心で勧めなさい。(テモテへの手紙第一5:1-2)

テモテは時に、年配の男性たちを訓戒しなければなりませんでした。パウロは、決して彼らを叱ってはならないと語ったわけではありません。

それでも、偉そうな態度で相手を辱めるような言い方をしてはなりませんでした。むしろ、父親に接するように、深い敬意をもって語るべきだったのです。

同じように、年配の女性たちには母親のように接し、彼女たちを尊び、やさしさをもって扱わなければなりませんでした。

また、若い男性たちに対しては、上から接するのではなく、兄弟として扱わなければなりませんでした。

若い女性たちを扱う時、テモテは注意深く行動しなければなりませんでした。もしかすると、ある女性たちはテモテに惹かれていたかもしれません。

だからこそ、テモテは自分の立場を決して乱用することなく、彼女たちを姉妹として扱わなければなりませんでした。

しかし、これは牧師だけでなく、教会全体にも当てはまります。 私たちは皆、神様の家族に属していることを忘れてはなりません。

私たちは友人を選ぶことはできますが、家族は選べません。そしてキリストにあって、私たちは一つの家族なのです。

ですから、あなたの姉妹や兄弟を見下してはなりません。むしろ、純潔をもって彼らを尊び、何よりも、愛をもって彼らと接しましょう。

あなたは、自分の家族をどのように扱っていますか。