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ヨシュア記のデボーション

御言葉が厳しくても、心強くても

その後、ヨシュアは、みおしえの書に記されているとおりに、律法のすべてのことばを、祝福ものろいも読み上げた。

モーセが命じたすべてのことばの中で、ヨシュアが。。。読み上げなかったことばは、一つもなかった。(ヨシュア記8:34ー35)

そのことばは、私の心に響きました。

ヨシュアは、自分が気に入った聖書の箇所だけでなく、 厳しい内容の箇所も、すべて読んでいました。

聖書のすべての箇所が、神の愛とあわれみだけを語っているわけではありません。心強いことばばかりで満ちているわけでもないのです。

神のさばきと正義についての、厳しいことばも含まれています。

そして、その真理を忘れてしまうと、アカンのように、私たちは自分の罪や、神様ご自身を軽く見てしまうかもしれません。(ヨシュア記7章)

しかし、より大切なのは、厳しくても励ましに満ちていても、 神のことばのすべては、私たちの益のためであるということです。

だからこそ、気に入った心強いみことばだけでなく、ヨシュアのように、そのすべてを読みましょう。

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詩篇のデボーション

神の恵みを求めて

詩篇119篇を読むとき、私はいつも神様とそのみ言葉に対するダビデの熱意に感動します。彼は本当に神様を愛し、神様を喜ばせたいと思いました。

それでも、ダビデは、自分が神様の恵みを必要とするのが分かりました。

彼はこう叫びました。

どうか、私の道が堅くされますように。あなたのおきてを守るために。(詩篇119:5)

でも、彼は自分の弱さを認めました。

私は、滅びる羊のようにさまよっています。(176)

だから、彼は何度も神様の恵みを願いました。

神様が彼に教えてくださるようにと、何度も祈ったのです。(12、29、33、66、68、108、124)

神様が彼の霊的な目を開くように願いました。(18)

神様が彼に悟らせるように願いました。(27、34、73、125、144、169)

神様の御言葉に従うために、彼は神様の導きを願いました。(35)

彼は、神様とそのみ言葉に傾いている心を願いました。(36)

彼がむなしいものを見ないように、神様が彼の目をそらせるように願いました。(37)

そして、神様があわれみと恵みによって、彼を取り扱ってくださるように願いました。(58、124)

完全な人は誰もいません。私たち皆は、神様の恵みを必要とします。だから毎日、この詩篇にあるダビデの祈りを祈りましょう。

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箴言のデボーション

神の御言葉を子に伝える責任

多分、ソロモンは箴言7章を書いた時、申命記11:18〜19を思い起こしていたのでしょう。

ソロモンは神の御言葉を大切にし、自分の心に蓄えるだけでなく、自分の息子にもそうするように教えていました。

私たちも同じようにしているでしょうか。神様は、私たちが自分の子供たちに神の御言葉を教える責任を委ねてくださいました。

それは、日曜学校の先生たちの責任ではありません。それは、私たちの子供たちの学校の先生たちの責任でもありません。

切ないことですが、私たちの子供たちが学校で学んでいる道徳的価値観が、神様の教えに反していることもあります。

学校で先生たちや友達から学んだ道徳的価値観が神様の教えと異なる時、私たちの子供たちはその違いに気づくことができるでしょうか。それは、私たちの責任です。

神の御言葉を自分の心に蓄えるだけでなく、私たちの子供たちにもそうするように教えましょう。