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詩篇のデボーション

私たちの動機

あなたの恵みは私の目の前にあり
あなたの真理のうちを私は歩み続けました。(詩篇26:3)

今日、いくつかの英訳を読み比べました。最も大きな違いは、「真理」と訳されている語が「忠実」とも訳せるという点です。

そのため、ある英訳では次のように訳されています。

あなたの誠実な愛は私の目にあり、
あなたの忠実さによって、私は歩み続けます。

別の訳では、こう表現されています。

あなたの誠実な愛を心に留め、
あなたの忠実さに頼って歩みます。

しかし、この意訳が私の心に特に響きました。

あなたの誠実さを心に留め、
あなたの忠実さは私の心を動かします。

神様の目が私たちの心を探っておられることは、少し恐ろしく感じられるかもしれません。時には、私たちを精錬する過程は痛みを伴います。

けれども、私の動機は恐れではなく、神の誠実な愛と忠実さです。

だから、私は毎日、喜んで自分の心を神様にさらけ出すことを選びます。

あなたはどうでしょうか。

あなたは神の誠実な愛と忠実さを知っていますか。

あなたの動機は何でしょうか。

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出エジプト記のデボーション

私たちの前に進まれる方

主は、昼は、途上の彼らを導くため雲の柱の中に、また夜は、彼らを照らすため火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた。彼らが昼も夜も進んで行くためであった。

昼はこの雲の柱が、夜はこの火の柱が、民の前から離れることはなかった。(出エジプト記13:21ー22)

天のお父さん、あなたは私の前に進まれる方です。昼も夜も、あなたは私の前から離れることはありません。

あなたの知恵によって、私を導いてください。私自身よりも、あなたは私のことを知っておられます。あなたは、私が耐えられることと、耐えられないことをよく知っておられるのです。(出エジプト記13:17~18)

私がヨセフのような信仰を持つことができるように。あなたが約束された通りに、必ずしてくださるという確信を持てますように。(出エジプト記13:19)

私がモーセのような信仰を持つことができるように。あなたがどこに行こうとも、私があなたの導きに従うように。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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使徒の働きのデボーション

より高い力に訴える

こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。(使徒の働き12:5)

一方では、ヘロデの力によって、ペテロは捕らえられ、牢に閉じ込められていました。

他方では、教会はより高い力に訴えました。

それは覚えておく価値があります。

私たちは、自分たちより強い力に直面することが多くあります。そして、その力は私たちに敵対的なものです。

それは霊的な力かもしれません。あるいは、地上の力かもしれません。

けれども、どんな力に直面しても、神の子どもとして、私たちはより高い力に訴える権利を持っています。

その権利を用いて、教会がペテロのために熱心に祈ったように、私たちも熱心に祈りましょう。

そして、神様がどのように答えられるとしても、神様が忠実な方であることを覚えておきましょう。

神様は忠実な方で、ペテロをヘロデの手から救い出してくださいました。

しかし、神様はヤコブに対しても忠実でした。ヘロデはヤコブのからだを殺しましたが、ヤコブのたましいを殺すことはできませんでした。(マタイ10:28ー31)

そして、神様は忠実で、ヤコブを天国に導き、歓迎してくださいました。

いと高き方の隠れ場に住む者、その人は、全能者の陰に宿る。。。

主は、ご自分の羽であなたをおおい、あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は大盾、また砦。(詩篇91:1,4)

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ローマ人への手紙のデボーション

神の忠実さ、キリストの忠実さ

日曜日、私の教会で私はメッセージを語りました。そのメッセージの要点は、神への私たちの忠実さではなく、私たちへの神の忠実さによって、私たちが神様に近づくことができるということです。

今日の箇所では、パウロがその真理について語ります。まず、パウロはユダヤ人たちへの神の忠実さ、神の真実さについて語ります。

では、どうですか。彼らのうちに不真実な者がいたなら、その不真実は神の真実を無にするのでしょうか。

決してそんなことはありません。たとえすべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。(ローマ人への手紙3:3ー4)

でも、パウロによれば、ユダヤ人たちだけではなく、私たち皆が神様に対して不忠実な者たちです。(9ー18節)

それでも、神様は、私たちへのご自分の真実さ、忠実さを現されます。では、どのようにそうされたのでしょうか。

しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。

すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。(21ー22)

それは普通の訳ですけど、脚注によると、別訳もあります。それは、

すなわち、イエス・キリストの真実によって、信じるすべての人に与えられる神の義です。

イエス様を信じる私たち皆に対して、イエス様はご自身が真実な神、真実な救い主であることを現してくださいます。

私たちがイエス様に対して不真実だったにもかかわらず、イエス様は私たちを諦めませんでした。むしろ、イエス様は十字架にかかり、天の父の御怒りを私たちの代わりに受け、ご自身の血潮によって、私たちの罪の代価を支払ってくださいました。

私は、そのような忠実さが本当に不思議なことだと思います。イエス様の忠実さのおかげで、私は躓くときにも落ち込むことはありません。私がイエス様に対して真実でなくても、キリストは常に私に対して真実です(第二テモテ2:13)。

だから、私が躓くとき、イエス様は「あなたが私をがっかりさせた」とは言わず、「あなたの破れた誓いを新たにしなさい」とも言わず、むしろ、こう言われます。

「私のことを愛するかい?よし。私についてきなさい。」(ヨハネ21:15ー19)

天のお父さん、私へのあなたの素晴らしい忠実さを感謝します。