日曜日、私の教会で私はメッセージを語りました。そのメッセージの要点は、神への私たちの忠実さではなく、私たちへの神の忠実さによって、私たちが神様に近づくことができるということです。
今日の箇所では、パウロがその真理について語ります。まず、パウロはユダヤ人たちへの神の忠実さ、神の真実さについて語ります。
では、どうですか。彼らのうちに不真実な者がいたなら、その不真実は神の真実を無にするのでしょうか。
決してそんなことはありません。たとえすべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。(ローマ人への手紙3:3ー4)
でも、パウロによれば、ユダヤ人たちだけではなく、私たち皆が神様に対して不忠実な者たちです。(9ー18節)
それでも、神様は、私たちへのご自分の真実さ、忠実さを現されます。では、どのようにそうされたのでしょうか。
しかし今や、律法とは関わりなく、律法と預言者たちの書によって証しされて、神の義が示されました。
すなわち、イエス・キリストを信じることによって、信じるすべての人に与えられる神の義です。(21ー22)
それは普通の訳ですけど、脚注によると、別訳もあります。それは、
すなわち、イエス・キリストの真実によって、信じるすべての人に与えられる神の義です。
イエス様を信じる私たち皆に対して、イエス様はご自身が真実な神、真実な救い主であることを現してくださいます。
私たちがイエス様に対して不真実だったにもかかわらず、イエス様は私たちを諦めませんでした。むしろ、イエス様は十字架にかかり、天の父の御怒りを私たちの代わりに受け、ご自身の血潮によって、私たちの罪の代価を支払ってくださいました。
私は、そのような忠実さが本当に不思議なことだと思います。イエス様の忠実さのおかげで、私は躓くときにも落ち込むことはありません。私がイエス様に対して真実でなくても、キリストは常に私に対して真実です(第二テモテ2:13)。
だから、私が躓くとき、イエス様は「あなたが私をがっかりさせた」とは言わず、「あなたの破れた誓いを新たにしなさい」とも言わず、むしろ、こう言われます。
「私のことを愛するかい?よし。私についてきなさい。」(ヨハネ21:15ー19)
天のお父さん、私へのあなたの素晴らしい忠実さを感謝します。