平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。
あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。
あなたがたを召された方は真実ですから、そのようにしてくださいます。(テサロニケ人への手紙第一5:23~24)
今日、「平和の神」という言葉を思い巡らしていました。
第4章3節で、パウロはこう語りました。
神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。
そして、今日の箇所では、パウロは神様が私たちの人生にその聖さをもたらしてくださるように祈っています。
ときには、そのプロセスに神の懲らしめが含まれることもあります。そして、その懲らしめが苦しいときもあります。
それでも、神様が私たちをにらんでおられると考える必要はありません。神様は平和の神です。私たちは神様との平和をもっているのです。
だから、神様が私の人生の中で取り組んでおられる課題を考えるとき、私は自分をその真理に染み込ませています。
「神様は私に怒っておられません。私は神様との平和をもっているのです。」
