イエス様、あなたはこの世に来られたとき、私たち人間のようになられました。あなたは、美男子ではなく、私たちが慕うような見栄えもありませんでした。
あなたは、人々から退けられることも、病をも経験されました。
そして、あなたは刺されました。あなたは砕かれました。十字架にかけられるまでに、あなたの姿は人とは思えないほどに、打たれました。(イザヤ52:14)
そのすべては、私のためでした。私の背きのために、あなたは刺され、打たれました。私の咎のために、あなたは砕かれました。
私が天の父と平和を持つことができる理由は、あなたが私のために罰せられたからです。そして、あなたの打ち傷のゆえに、私の罪によって壊れた人生は癒されました。
私は、さまよった羊のようでした。私は、自分勝手な道に向かって行ったのです。でも、良い羊飼いのように、あなたは私を探し求めてくださいました。
私は、神様に罰せられて当然でしたが、あなたは、私の罰を受け取ってくださいました。
あなたに十字架を強いた者は、誰もいませんでした。あなたは、自ら望んで、自分のいのちを死に明け渡されました。あなたは、私の罪を負ってくださいました。そして、今なお、あなたは私のために、とりなしをしてくださっています。
「父よ、彼をお赦しください。彼は、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」
イエス様、あなたが十字架で私の罪を負ってくださったおかげで、私は天の父の御前に立ち、義と認められます。
あなたは、苦しみと死を経験されましたが、よみがえられました。そして、あなたの死によって救われた私たちを見るとき、あなたは満足しておられます。
あなたの恵みに、畏敬の念を抱いています。どうして、あなたは私をそんなにも愛してくださっているのでしょうか。