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マタイの福音書のデボーション

何を求めているのですか

「何を求めているのですか。」

マタイの福音書20章では、その同じ本質的な質問が三回出てきます。

契約交渉のとき、主人は労働者たちにそう尋ねました。(マタイ20:2)

イエス様は、ヤコブ、ヨハネ、そしてそのお母さんにそう尋ねられました。(マタイ20:20ー21)

そして、イエス様は二人の盲人たちにもそう尋ねられました。(マタイ20:31ー33)

最初の二つの場合、彼らは「当然の報い」を求めました。

労働者たちは、1日の労働に対して1デナリを求めました。

ヤコブ、ヨハネ、そしてそのお母さんは、権力の座を求めました。

けれども、盲人たちは「当然の報い」を求めるのではなく、あわれみと恵みを求めました。

たぶん、イエス様が願いを断られたとき、ヤコブとヨハネはがっかりしたでしょう。

(でも、イエス様が十字架につけられたとき、ヤコブとヨハネはイエスの右と左で十字架につけられなかったことに失望しなかったでしょう。彼らは、何を求めているのか本当に分かっていませんでした。)

皮肉なことに、労働者たちは、求めた通りのものを受けたのに、かえって苦々しく思うようになりました。

その一方、盲人たちは、神の恵みとあわれみの喜びを知るようになりました。

神の御国とは、「当然の報い」ではなく、神の恵みとあわれみのことなのです。

「当然の報い」を求めると、あなたは失望したり、怒ったり、苦々しくなったりしてしまいます。

しかし、神様のあわれみと恵みを求めれば、神様がどんなに良い方であるのかを知るようになります。

なぜなら、神様は、いつも恵みとあわれみを豊かに与えてくださるからです。

あなたは、何を求めているのでしょうか。