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サムエル記第一のデボーション

諦めないで

サムエルは民に言った。「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行った。しかし主に従う道から外れず、心を尽くして主に仕えなさい。

役にも立たず、救い出すこともできない、空しいものを追う道へ外れてはならない。それらは、空しいものだ。

主は、ご自分の大いなる御名のために、ご自分の民を捨て去りはしない。主は、あなたがたをご自分の民とすることを良しとされたからだ。(サムエル記第一12:20-22)

時々、私たちは自分の罪と失敗を見て、クリスチャンとして落胆してしまいます。どうして神様が私たちを受け入れることができるのかと疑問に思います。

でも、サムエルの言葉によって、希望を持ちましょう。罪に落ちても、失敗しても、主に従う道から外れず、心を尽くして主に仕え続けましょう。

どうしてでしょうか。なぜなら、主はご自分の民を捨て去りはしないからです。

私たちが素晴らしい者だからではなく、むしろ、神様が素晴らしい方だからです。そして、主は、私たちをご自分の民とすることを良しとされました。

さらに、サムエルがイスラエル人たちのために祈り、正しい道を教えたように、イエス様、そして聖霊様も、私たちのために同じことをしてくださいます。(ローマ8:26〜27、34;ヨハネ14:26;16:13;第一ヨハネ2:27)

だから、諦めないでください。むしろ、サムエルの言葉を心に留めておきましょう。

ただ主を恐れ、心を尽くして、誠実に主に仕えなさい。

主がどれほど大いなることをあなたがたになさったかを、よく見なさい。(24節)

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出エジプト記のデボーション

私たちのアイデンティティーを心に留めて

「今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはあらゆる民族の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。 あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」

これが、イスラエルの子らにあなたが語るべきことばである。(出エジプト記19:5ー6)

それらは驚くべき言葉ですね。

でも、1000年以上経って、ペテロはイスラエル人たちに語られた神様の言葉を、私たちに当てはめました。

しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。

それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。

あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。(第一ぺテロ2:9ー10)

私たちのアイデンティティーを心に留めておきましょう。

私たちは神様に愛され、選ばれた民です。

でも、それだけではなく、私たちは大王の祭司で、神様の栄誉を告げ知らせるために召されました。

しかし、それは、ただ神様をほめたたえるためではありません。むしろ、回りの人々が私たちのあかしを聞いて、彼らも闇の中から神様の驚くべき光の中に入るためです。

だから、私はもう一度言います。

自分が何者であるかを心に留めておきましょう。

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ペテロの手紙第一

私たちがこの世に属しないから

私は日本に25年以上住んでいるので、時々、自分が国のない人間のように感じることがあります。もちろん、私はアメリカ人ですが、長い間アメリカを離れているため、その文化がどのように変わり、何が移り変わったのかをよく知りません。

一方で、日本に長年住んでいるにもかかわらず、私は多くの意味でまだ外国人であると感じています。それでも、「国のない人」であることは、必ずしも悪いことではないと思います。なぜなら、私はこの世に属していないからです。

もしあなたがクリスチャンであるなら、あなたもこの世に属していません。イエス様は大きな代価を支払って私たちを買い取られました。

けれども、イエス様がその代価を支払うために用いられたのは金でも銀でもなく、ご自身の血です。(ペテロの手紙第一1:18~19)

さらに、私たちが神様の民となるために、イエス様は私たちを買い取ってくださったのです。

私が以前言ったように、ペテロの手紙の重要なテーマの一つは、私たちが旅人であり、寄留者であるということです。つまり、私たちはこの世に属していません。

ペテロはこの真理の意味をさらに具体的に説明します。彼はこう言うのです。

ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。

「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。(ペテロの手紙第一1:13-16)

簡単に言うと、私たちは旅人であり寄留者であるため、未来の困難に備えて心構えをしておく必要があります。私たちはキリストのために苦しみや迫害を経験するかもしれません。

しかし、私たちは揺らいではいけません。自分の古い人生を振り返り、それに憧れてはいけません。むしろ、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望むべきです。

その恵みとは何でしょうか。それは永遠のいのちです。また、それは朽ちることも、汚れることも、消え去ることもない天の資産です(1:4)。

この希望ゆえに、私たちは自分を滅ぼしかねない悪い欲望に従わず、神様に従うべきです。私たちは神様のようになるように努めるべきです。天の父が完全であるように、私たちも完全であるように努めるべきです。

罪によって、私たちの人生が壊れることはしばしばあります。もし、私たちが罪にしがみつけば、私たちの状態はさらに悪化します。

けれども、自分の罪を捨て、神様に立ち返り、神様の道を歩むなら、私たちの人生は癒され、完全なものとなります。そして、裁きの日に私たちは報いを受けるのです。

だからこそ、ペテロはこう言います。

また、人をそれぞれのわざにしたがって公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、この世に寄留している時を、恐れつつ過ごしなさい。(17)

「この世に寄留している時を、恐れつつ過ごす」とは、どういう意味でしょうか。私たちはどうするべきでしょうか。

1.毎日、信仰と希望と愛を持って生きるべきです。

私たちは、神様がご自身の約束を守られることを信じているので、希望を持っています。(1:21)また、神様の命令に従い、互いに愛し合うべきです。(1:22)

2.永遠の命を心に留めるべきです。

私たちは、自分が得る命が永遠のものであることを覚えるべきです。この世での人生は短いですが、それは永遠の命への準備です。(1:23-25)

3.毒を捨てるべきです。

私たちは、自分の中にある毒を捨てる必要があります。例えば、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口といったものです。(2:1)

これらの毒や悪い欲望は私たちの魂と戦い、その戦いに負けると私たちは滅びてしまいます。(2:11)

むしろ、私たちは神様の乳、つまり、み言葉を慕い求めるべきです。そうすることで、神様の子供として私たちは成長するのです。(2:2)

4.最も大切なのは、私たちがこの世が拒絶したイエス様に近づくべきだということです。

私たちは神様の家に属する者としてイエス様に近づくべきです。私たちはイエス様が建てている家の一部であるべきです。さらに、私たちは神様の祭司として、自分の言動を通して霊のいけにえを捧げるべきです。(2:4-8)

そうするなら、私たちは暗闇に陥れられた世の人々に対して光となるのです。(2:9-12)

だから、私たちが誰であるかを覚えていましょう。

しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。

それは、あなたがたを闇の中から、ご自分の驚くべき光の中に召してくださった方の栄誉を、あなたがたが告げ知らせるためです。

あなたがたは以前は神の民ではなかったのに、今は神の民であり、あわれみを受けたことがなかったのに、今はあわれみを受けています。(9-10)