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箴言のデボーション

神様は私たちをどのように見ておられるか

今日の箇所を読んだとき、私は神様との関係について思いを巡らせました。 ソロモンはこう記しています。

主の目はどこにもあり、悪人と善人を見張っている。(箴言15:3)

また、

よみと滅びの淵は主の前にある。人の子らの心はなおさらのこと。(11節)

たぶん、多くの人々にとって、それらは恐ろしい言葉に聞こえるかもしれません。 私たちの心、私たちの人生は、神様にとって開かれた本のようなものです。

私たちは神様から何も隠すことができません。 神様は、私たちが隠そうとするすべての酷いものをご覧になります。

しかし、イエス様のおかげで、私たちは心を探られる神の目を恐れる必要はありません。 むしろ、神様が私たちの心を探られるとき、私たちは喜んで自分の心を開きます。

私たちにとって、神様が心を探られることは、喜びなのです。

なぜでしょうか。

なぜなら、私たちは神様に愛されている子どもたちだからです。 イエス様は、十字架で私たちの罪の罰をすでに受けてくださいました。

「どうして神様は私たちを『正しい人』と呼ばれるのだろうか」と疑問に思ったことがあるでしょうか。

私たちは完全な人間なのでしょうか。 私たちは他の人々よりも良い人間なのでしょうか。

違います。

その理由は、天の父が私たちをイエス様の義で包んでくださったからです。

イエス様の義のゆえに、神様は私たちを受け入れ、喜んでくださいます。(8節)

だから、喜びをもって、ダビデと共に祈りましょう。

神よ、私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。

私のうちに傷のついた道があるかないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。(詩篇139:23ー24)