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士師記のデボーション

自分の目か、神様の目か

彼女を私の妻に迎えてください。彼女が私の目に良いと見える。(別訳)(士師記14:3節)

サムソンは下って行って、その女と話した。彼女がサムソンの目に良いと見えました。(別訳)(士師記14:7節)

その二つの箇所では、私たちはサムソンの問題だけではなく、すべてのイスラエル人たちの問題を見ることができます。

多くの場合、彼らは主の目に悪であることを行いました。(士師記2:11;3:7;4:1;6:1;10:6;13:1)

でも、彼らが考えていたのは、「私の目に良いと見えることをしているのだ。」ということです。(士師記17:6;21:25)

サムソンはナジル人に関する神様の命令を軽んじました。彼は、ライオンの死骸に触れましたし(民数記6:6〜7)、一週間の飲み会に参加しました。(民数記6:3〜4)

私たちは後で読みますが、サムソンはもう一つのナジル人に関するルールを違反することになります。

さらに、神様がイスラエル人たちに偶像礼拝する人たちと結婚してはいけないと命じられたのに(申命記7:3〜4)、サムソンはペリシテ人の女性と結婚しようと思いました。

どうしてサムソンはそのようなことをしていたのでしょうか。

もしかしたら、サムソンは、神様の命令が愚かで、無意味なものだと思っていたかもしれません。

もしかしたら、サムソンは、その命令は自分のためではなく、ほかの人々のためのものだと思っていたかもしれません。

もしかしたら、サムソンは、神様よりも何が正しくて良いかを知っていると思っていたかもしれません。

興味深いことは、神様がご自身の目的を果たすために、サムソンの悪い選択を用いられたということです。(4節)

それでも、サムソンは最終的に苦しみを刈り取ってしまいました。彼はその女性に裏切られ、彼女を失ってしまいました。

また、神様の道から外れ、自分の目に良いと見えることを選び続けた結果、さらに苦しみを刈り取ってしまいました。

私たちは、どれだけ神様よりも何が良いかを知っていると考えてしまうでしょうか。

彼や彼女、または夫や妻を選ぶとき。

キャリアのことを考えるとき。

どのように自分の問題を解決できるかと考えるとき。

道徳的な問題を考えるとき。

自分のやり方で何とかなることもあります。

私たちが自分の道を行っても、神様が私たちを用いられることもあります。

でも、サムソンのように、私たちは最終的に苦しみを刈り取ってしまうことがあります。

しかし、神様の道を選ぶとき、私たちはその道が最善であることを学びます。そして、私たちは本当の喜びを知るようになります。