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出エジプト記のデボーション

 天のお父さん、私はあなたを本当に信じるでしょうか?

モーセは最初から、イスラエル人たちに神様の言葉のすべてを伝えたでしょうか。つまり、ファラオの心が頑なになることまで伝えたでしょうか。

それとも、モーセはただ「神様はあなたを救い出すと約束された」とだけ伝えたのでしょうか。

モーセ自身は、神様の警告を真剣に受け止めていたでしょうか。

ファラオが神様の言葉を拒絶し、イスラエル人たちがモーセに怒ったとき、モーセの心はその現実に備えられていなかったように見えます。

では、私たちはどうでしょうか。神様を信じるでしょうか。

イエス様が「世にあっては苦難があります」と警告されたとき、私たちはその言葉を信じるでしょうか。(ヨハネ16:33)

パウロが「終わりの日には困難な時代が来る」と警告したとき、その言葉を本当に信じるでしょうか。(第二テモテ3:1~5)

ペテロが同じことを語ったとき、私たちはその言葉を信じるでしょうか。(第一ペテロ4:12)

そして、私たちが実際に試練に直面したとき、神様が良い方であること、イエス様がすでに世に勝利されたこと、神様がご自分の約束を守られること、そして最終的に私たちを救ってくださることを、信じ続けることができるでしょうか。

私が自問しているのは、そして私たち皆が自ら問うべき問いは、「神様、私はあなたを本当に信じているのでしょうか」ということです。

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ペテロの手紙第二のデボーション

天の父の約束を抱く

私たちをご自身の栄光と栄誉によって(別訳:「栄光と栄誉へと」)召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。(ペテロの手紙第二1:3)

今朝、私はその別訳を考えていました。(3節の脚注を調べてください。)

私たちは、神の栄光と栄誉へと召されました。

言い換えると、私たちは天の父のようになるように召されました。私たちは、天の父の性格を身に着けるべきです。私たちは、神の光を周りの人々に照らすべきです。

だから、ペテロは言います。

だからこそ、あなたがたはあらゆる熱意を傾けて、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。(第二ペテロ1:5-7)

もちろん、天の父のようになるために努力が必要です。それでも、天の父は、私たちをほっといて、「がんばれ」と言われるわけではありません。

むしろ、ペテロはこう言います。

その栄光と栄誉を通して、尊く大いなる約束が私たちに与えられています。

それは、その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。(第二ペテロ1:4)

その約束は何でしょうか。

最も素晴らしい約束は、御霊が私たちのうちに住んでおられ、私たちを導き、私たちに力を与え、私たちのためにとりなしてくださることです。(ヨハネ16:13-15、ローマ8:11-14,26-27)

さらに、私たちがどんなに苦しんでも、私たちの努力は最終的に無駄にならないのです。ヨハネは私たちにこう言います。

しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。 (第一ヨハネ3:2)

私の罪と失敗を見るとき、それは私の希望です。

私は一人でやる必要はないのです。

最終的には、私の努力は無駄にならないのです。私は必ずイエス様のようになります。

でも、その日が来るまで、私は恵みの中に立っているのです。(ローマ5:1-2)

天のお父さん、あなたが私をご自分の子どもにしてくださり、ありがとうございます。私へのあなたの尊く大いなる約束を感謝します。私はその約束に頼ります。毎日、私があなたのようになるように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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創世記のデボーション

私たちを決して見捨てない方

見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。

わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。創世記28:15)

ヤコブがどれほど失敗したかを考えれば、神様の約束は本当に驚くべきものです。

でも、神様は私たちに関して、同じようなことを言っておられます。私たちがどんなに失敗しても、神様は私たちを決して見捨てません。

むしろ、神様は私たちとともに歩み、守り続けてくださいます。

さらに、御霊は毎日、私たちの心の中に働き、私たちをイエス様のようにしてくださいます。

そして、ご自分が約束してくださったことを成し遂げ、私たちが完成されて、顔と顔を合わせて神様を見るまで、神様は私たちを決して捨てません。

パウロのことばを借りれば、

あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。(ピリピ1:6)

それは、私たちの希望です。その希望を持って、歩みましょう。

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テトスへの手紙のデボーション

偽ることのない神

それは、偽ることのない神が永遠の昔から約束してくださった、永遠のいのちの望みに基づくものです。(テトスへの手紙1:2)

「偽ることのない神。」

今朝、その言葉が何となく私の心に響きました。

それは、私の希望の土台です。神様は偽ることのない方だから、約束されたことを必ず実行されます。その中には、神様が永遠の昔から約束してくださった永遠のいのちも含まれています。

その約束は、イエス様において成就しました。

私は、ルカの福音書にあるシメオンの言葉を思い起こしました。

主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。

私の目があなたの御救いを見たからです。あなたが万民の前に備えられた救いを。異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。(ルカ2:29-32)

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ルカの福音書のデボーション

神様が約束されたことを信じる

主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。(ルカの福音書1:45)

神様が約束されたことを信じることには、祝福があります。

その約束を信じるとき、苦しい時にも、私たちは希望を与えられます。 なぜなら、神様が私たちの味方であることを知っており、神様が私たちのための計画を実現してくださることも知っているからです。(ローマ8:18-32)

さらに、

信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。

神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。(へブル11:6)

だから、私たちが自分に問いかけなくてはならないのは、「神様が約束されたことを信じているだろうか」ということです。

私たちは、マリアと一緒にこの歌を歌えるでしょうか。

私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。この卑しいはしために、目を留めてくださったからです。

ご覧ください。今から後、どの時代の人々も、私を幸いな者と呼ぶでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。

その御名は聖なるもの、主のあわれみは、代々にわたって、主を恐れる者に及びます。(46-50節)