神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません。神から生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。(ヨハネの手紙第一5:3ー4)
この世はいろいろなものを私たちに投げつけます。パウロによれば、苦難、苦悩、迫害、飢え、裸、危険、剣などがこの世から私たちに投げつけられるのです(ローマ8:35)。
それでも、パウロはこう言います。「これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です」(ローマ8:37)。
ヨハネもほぼ同じことを語ります。この世とその攻撃に直面するとき、私たちが勝利するのは何によってでしょうか。それは、私たちの信仰です。
つまり、神様が良い方であることを信じる信仰です。神様が私たちを愛しておられることを信じる信仰です。神様が何が最善かをご存知であることを信じる信仰です。そして、神様が私たちの最善を望んでおられることを信じる信仰です。
この世は不信によって特徴づけられています。基本的に、この世は神様を嘘つきと呼びます。そして、さまざまな試練を私たちに投げつけることで、私たちがこの世の不信に陥るのは容易なことです。その不信に押し潰されるのも、また容易なことです。
さらに、その不信によって押し潰されたとき、神様の命令は重荷となり、神様のために生きることも重荷となってしまいます。
しかし、信仰を持つなら、どんな状況の中にあっても、私たちは勝利と喜びを得るのです。
私たちは誰の証しを信じるでしょうか。この世の証しでしょうか。それとも神様の証しでしょうか。
この世の証しは死に至ります。
神様の証しはいのちに至ります。
その証しとは、神が私たちに永遠のいのちを与えてくださったということ、そして、そのいのちが御子のうちにあるということです。
御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。(11ー12節)
