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創世記のデボーション

神は戦う

その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」(創世記32:28)

ヤコブを祝福するとき、神様は彼に新しい名前を与えました:イスラエル。その名前には、二つの意味があります。イスラエルとは、「神と戦う」と「神は戦う」を意味します。

今まで、私は一つ目の意味が分かっていました。ヤコブは神の祝福と好意を得るため、ずっと神様と戦わなくてはならないと思っていました。

例えば、神様のタイミングを待たずに、ヤコブはエサウの長子の権利と祝福を奪い取りました。

また、神様を信頼せずに、ヤコブとその家族はラバンからひっそりと逃げました。

でも、今日、私は二つ目の意味が分かるようになりました。

ヤコブが学ばなくてはならなかったのは、神の祝福や好意を得るために戦わなくていいということです。なぜなら、神様はもうヤコブの味方でしたから。神様はヤコブのために戦っておられたのです。

ヤコブがラバンと戦うとき、神様はヤコブのために戦っておられました。(創世記31:6ー13、24、42)

また、エサウとの和解のため、神様はヤコブのために戦っておられました。(創世記33章)

神様の祝福と好意を得るために、私たちの多くは頑張って努力しなくてはならないと思います。でも、そうすることで、私たちは神と戦うことになってしまいます。

また、ヤコブがエサウの許しと好意を買おうとしたように、私たちは、神様の赦しと好意を買わなくてはならないと考えます。

でも、神様は私たちに言われます。「私はもうあなたの味方です。私はあなたのために戦っています。」

イエス様は十字架でそれをはっきりと証明してくださいました。(コロサイ2:13ー15)

だからパウロの言葉を心に留めておきましょう。

では、これらのことについて、どのように言えるでしょうか。

神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。

私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。

 だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。

だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。

 だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。。。

しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。

私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ8:31ー35、37ー39)