主はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。
なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。(サムエル記第一8:7)
それを言われたとき、神様はどう感じておられたでしょうか。
神様は怒っておられたでしょうか。
そうだったかもしれません。
しかし、イスラエルの民がイエス様を王として拒んだとき、彼は怒っておられたのではなく、悲しんでおられました。
その悲しみは、ご自身が傷ついたからではなく、むしろ、イエス様がイスラエルの民の選択がどの道に導かれるかをよくご存じだったからです(マタイ23:37〜39;ルカ19:41〜45)。
今日、私はこう考えていました。「自分の王がどれほど私を愛しておられるか、本当に理解しているだろうか。」
イスラエルの民はそれを理解していなかったため、神様を王として拒んでしまいました。
私はそれをしたくありません。
けれでも、私はもう一度自問します。
「自分の王がどれほど私を愛しておられるか、本当に理解しているだろうか。」
私の良い王よ、自分に対するあなたの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるのかを理解するようにしてください。
それは、私が喜んであなたにすべてを明け渡し、あなたが私の人生のすべてにおいて治められるためであるように。
