数日に渡ってサムソンの人生を考えているとき、二つのことが私の目につきました。
一つ目は、サムソンが自己中心な人生を送っていたということです。彼が敵を打ち倒したとき、イスラエルの民をある程度まで助けましたが、その助けは偶発的なものでした。彼はイスラエルの民を救おうとしていたわけではなく、彼の動機はただ復讐でした。
二つ目は、彼が神様との関係をほとんど持っていなかったということです。彼が神様に祈ったのは、助けを求めるときだけでした。
サムソンは祭壇を建てたこともなく、神様を礼拝したこともありませんでした。勝利を得たときも、それ以外のときも、神様に感謝することはありませんでした。
神様はサムソンを通して、ある程度までイスラエルの民をピリシテ人から救われました。
けれども、サムソンが人々を導くことはありませんでした。彼が自分の民と関わった唯一の場面は、彼らがサムソンをピリシテ人たちに引き渡したときでした。(士師記15:11~13)
彼は、人々を神様に従うように導くことはまったくありませんでした。むしろ、周りの人々と同じように、サムソンは自分の目に良いと見えることを行っていました。(士師記14:17;17:6)
私はそのような人になりたくありません。私の心が神様のものとなることを願います。また、周りの人々が神様に従う心を持つよう導きたいです。
あなたはどうですか。どのような人になりたいですか。
