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サムエル記第一

私たちを聞いてくださる神

聖書では、名前は本当に大事です。

神様はアブラムを「アブラハム」と名づけられました。なぜなら、「アブラハム」というのは「多くの人々の父」という意味であり、アブラハムが本当に大きな国の父となったからです。

神様はヤコブを「イスラエル」と名づけられました。「イスラエル」という名前には二つの意味があります。「神様と戦う」と「神様と共にいる王子」という意味です。

この新しい名前は、ヤコブの神様との関係がどのように変わったかを反映しています。ヤコブはまず神様と戦いましたが、最終的に神様が彼を祝福し、高めてくださったため、今では皆がヤコブを尊敬しています。

この箇所では、ある男の子が「サムエル」と名づけられました。「サムエル」という名前は「神様が聞いた」という意味です。

ハンナという女性は子供がいなくて、本当に惨めな思いをしていました。その時代、子供がいないことは恥ずべきこととされていました。

私は詳細は分かりませんが、多分そのためにハンナの夫には二人の妻がいたのかもしれません。その夫は、まだハンナを本当に愛していましたが、もう一人の妻が常にハンナをからかい、彼女の恥を思い起こさせていました。

そこで、ある日、ハンナは主の宮に行き、神様の前で泣きながら祈り、誓いを立てました。

万軍の主よ。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますならば、私はその子の一生を主におささげします。(サムエル記第一1:11)

神様はその祈りを聞き、息子を与えられました。その息子を通して、神様はハンナの恥を取り除き、言葉では表せない喜びを与えてくださいました。

とはいえ、ちょっと考えてみてください。おそらく、ずっと前からハンナとその夫は息子のために祈っていたかもしれません。神様はその祈りを聞いていたけれど、ご自身の目的のために「イエス」とは言われなかったのです。

時々、私たちは祈りながら、神様が本当に私たちの祈りを聞いてくださっているのかどうか疑問を持ちます。

私たちは、神様が私たちに夫や妻を与えてくださるように祈ります。新しい仕事のために祈ります。癒しのためにも祈ります。

それでも、何も起こらない時があります。そうなると、私たちはこう尋ねるかもしれません。「神様は本当に聞いておられるのだろうか。私を本当に愛しておられるのだろうか」と。

もちろん、神様は私たちの祈りを聞き、私たちを愛しておられます。神様は私たちの涙のすべてをご覧になり、呻きのすべてを聞いておられます。

しかし、時々、神様は「待ちなさい」と言われることがあります。そして、もっと辛いかもしれませんが、時には神様は「ノー」と言われることもあります。

けれども、私たちが自分自身に問いかけなくてはならないのは、「神様がどのように応えられても、私は信頼し続けるだろうか。」ということです。

ある友だちはずっと子供のために祈っていますが、妊娠できない状況にあります。なぜそうなのか分かりません。おそらく、それを考えること自体が本当に苦しいでしょう。それでも、その友達は神様に信頼し続け、神様の慈しみを信じています。

彼女がいつか子供を授かるかどうか、私には分かりません。神様が「待ちなさい」と言われているのかもしれませんし、神様が「ノー」と言われているのかもしれません。

けれども、私が知っているのは、神様がその友だちの祈りを聞いておられることです。

そして、神様は彼女を本当に愛しておられます。また、神様は彼女のために良い計画を持ち、祝福してくださることです。なぜなら、どのような状況が起こっても、彼女が神様に従う決意を固めているからです。

神様、あなたが私たちの祈りをいつも聞いてくださることを感謝します。そして、あなたが私たちを決して無視されないことにも感謝します。

時にはあなたのために待つことは辛いです。また、あなたの「ノー」という答えも、本当に辛いことです。

それでも、私があなたに信頼し続けることができるように助けてください。私があなたに従い続けることができるように助けてください。

そして、あなたが私を愛し、良い計画を持っておられることを信じる信仰を与えてください。アーメン。