カテゴリー
詩篇のデボーション

インマンヌエル

私はあなたが行く道で
あなたを教えあなたを諭そう。
あなたに目を留め助言を与えよう。(詩篇32:8)

今朝、私はその言葉を思いめぐらしました。

インマヌエルとは、まさにそのことを意味しているのでしょう。

神様は常に私に目を留めておられます。

それは怒りの目でも、私を勘ぐる目でもなく、愛に満ちた目であり、私を正しい道へ導きたいと願っておられる目なのです。

疑問は、神様が私と共におられるかどうかではありません。むしろ、私が神様と共に歩んでいるかどうかということです。

あるいは、私はくつわや手綱といった馬具で強いられなければならない、 分別のない馬やらばのようなのでしょうか。(9節)

2026年には、柔らかい心と開かれた耳を持ち、 愛深い天のお父さんを子どものように信頼して歩みたいと願います。

カテゴリー
創世記のデボーション

神様と共に前進する

それで、ヤコブは自分の家族と、自分と一緒にいるすべての者に言った。

「あなたがたの中にある異国の神々を取り除き、身をきよめ、衣を着替えなさい。

私たちは立って、ベテルに上って行こう。私はそこに、苦難の日に私に答え、私が歩んだ道でともにいてくださった神に、祭壇を築こう。」(創世記35:2~3)

34章にある恐ろしい出来事の後、私たちはヤコブの人生に神の恵みを見ることができます。

ヤコブの息子たちの恐ろしい罪にも関わらず、神様はヤコブに言われました。「私はまだあなたと共にいる。私が最初にあなたに現れた場所、ベテルに戻りなさい。」

だから、ヤコブは家族に異国の神々を取り除き、身をきよめ、衣を着替え、ベテルに上って行くように命じました。

ベテルで、神様はヤコブに約束を再確認しました。また、神様はもう一度ヤコブを「イスラエル」と名付けました。

「イスラエル」とは、「神と戦う」という意味もあるし、「神は戦う」という意味もあります。

たぶん、後者の定義の方が適切かもしれません。なぜなら、ヤコブは神様と戦うことをやめ、神様の支配に従っていたからです。さらに、神様はヤコブとその家族のために戦っていたのです。(5節)

この話を読んで、私は励まされました。私たちがどんなに失敗しても、神様は私たちを決して見捨てないのです。むしろ、私たちが神様と共に前進するように招いてくださいます。

神様と共に前進するため、私たちはどうすればいいでしょうか。

私たちの罪を捨て、私たちを清めるイエス様の血で洗われ(第一ヨハネ1:7)、そして、再びイエス・キリストとその義を着るべきです(ローマ書13:14)。

そして、サタンが私たちを責めるとき、神様が私たちのために戦っていることを覚えていましょう。(ローマ書8:31〜34)

だから毎日、神の恵みによって歩み、神様と共に前進し続けましょう。