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詩篇のデボーション 士師記のデボーション

誠実に歩んで

毎日、聖書通読プランと共に、私はいつも詩篇も読みます。

今日、たまたま26篇を読みました。それを読んで、ダビデの態度とサムソンの態度の違いに気づかざるを得ませんでした。

ダビデの言葉を祈り、それに従っていたら、サムソンの人生がどれほど違っていたかを想像してみてください。

主よ、私を弁護してください。私は誠実に歩み、よろめくことなく、主を信頼しています。

主よ、私を調べ、試みてください。私の心の深みまで精錬してください。

あなたの恵みは、私の目の前にあり、あなたの真理のうちを私は歩み続けました。

私は不信実な人とともに座らず、偽善者とともに行きません。悪を行う者の集まりを憎み、悪しき者とともに座りません。

手を洗い、自らの潔白を示します。主よ、私はあなたの祭壇の周りを歩きます。

感謝の声を響き渡らせて、語り告げます。
あなたの奇しいみわざのすべてを。(詩篇26:1-7)

私はダビデの言葉を祈り、それに従いたいです。

それがあなたの願いでしょうか。

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マラキ書のデボーション

心を導いて主に従う

今年、私の教会では、自分の心に単に従ってはいけないということを学んでいます。なぜなら、私たちの心が間違った道に私たちを導いてしまうことがあるからです。

だから、心に従うのではなく、むしろ神様に従うように、私たちは自分の心を導くべきです。

そのような態度を取ることはとても大切です。なぜなら、この壊れた世界では、私たちの考え方がひねくれてしまうのは簡単なことだからです。

ユダヤ人たちもそのようになりました。彼らはバビロンの追放から戻ってきて、神殿もエルサレムの城壁も再建されましたが、なお多くの問題に直面しました。

そのため、彼らは神の愛と神の正義を疑い(マラキ書1:2;2:17)、神様に仕える価値を疑いました(3:14)。

その態度は、彼らの神様への接し方に表れています。つまり、彼らは神様を侮ったり(1:6〜8)、神様のものを盗んだりしました(3:14)。

さらに、その態度は、ユダヤ人たちが自分の妻への接し方(2:14〜16)、また互いへの接し方にも表れています(3:5)。

しかし、すべてのユダヤ人がそのような態度を取っていたわけではありません。自分の状況にかかわらず、周りの人々の態度にかかわらず、彼らは自分の心を導いて、主に従い続けました。

神様が自分を愛しておられることを信じることを選びました。神様がいつかこの世に正義をもたらすと信じることを選びました。だから、彼らは神様に忠実に仕え続けました。

その結果は?

主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で記憶の書が記された。

「彼らは、わたしのものとなる。──万軍の主は言われる──わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。」(マラキ書3:16-17)

この世の問題や、自分の問題を見るとき、自分の考え方はひねくれてしまっているでしょうか。

自分の心を導き、神様を信頼し、従うことを選ぶでしょうか。

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サムエル記第一のデボーション

プレッシャーがかかる時に

サウルは答えた。「兵たちが私から離れて散って行こうとしていて、また、ペリシテ人がミクマスに集まっていたのに、あなたが毎年の例祭に来ていないのを見たからです。

今、ペリシテ人がギルガルにいる私に向かって下って来ようとしているのに、まだ私は主に嘆願していないと考え、あえて、全焼のささげ物を献げたのです。」

サムエルはサウルに言った。「愚かなことをしたものだ。あなたは、あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。」(サムエル記第一13:11ー13)

私たちの人生がうまくいく時、神様に従うのは簡単なことです。でも、大変な時はどうでしょうか。

試練によって、私たちの心の状態がよく現れます。

私は本当に神様に信頼しているのでしょうか。神様の道が最も良い道だと思っているでしょうか。大変なときに神様に従うことが、私たちの最初の本能となるほどに、それを信じているでしょうか。

それとも、私たちは愚かにも自分の道を行くのでしょうか。

サウルの試練によって、サウルの心が現れました。

私たちの試練によって、私たちの心には何が現れるでしょうか。