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マルコの福音書のデボーション

自給自足?神様に頼る?

イエスが家に入られると、弟子たちがそっと尋ねた。「私たちが霊を追い出せなかったのは、なぜですか。」

すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出すことができません。」(マルコの福音書9:28-29)

今日、弟子たちとその失敗について思いを巡らせていました。彼らは男の子から悪霊を追い出そうとしましたが、できませんでした。

どうしてでしょうか。彼らは自分自身の権威と力に頼っていたように見えます。「祈ろう」という発想はまったくありませんでした。

その場面を読んで、私はこう思いました。「私は、弟子たちのようにどれほど振る舞っているだろうか。神様とその力に頼ることなく、どれほど自分に頼っているだろうか。」

私の最初の本能は祈ることだろうか。自分の力を超える問題に直面するときだけでなく、どんな状況であっても、それが私の第一の反応だろうか。

天のお父さん、私が決して自分の力で生きようとせず、いつもあなたに頼って生きる者となれますように。

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列王記第二のデボーション

何に拠り頼んでいるのか

(ヒゼキヤ)は。。。主の目にかなうことを行った。。。

彼はイスラエルの神、主に信頼していた。

彼の後にも前にも、ユダの王たちの中で、彼ほどの者はだれもいなかった。

彼は主に堅くつき従って離れることなく、主がモーセに命じられた命令を守った。。。

ヒゼキヤ王の第十四年に、アッシリアの王センナケリブが、ユダのすべての城壁のある町々に攻め上り、これを取った。。。

ラブ・シャケは彼らに言った。

「ヒゼキヤに伝えよ。大王、アッシリアの王がこう言っておられる。「いったい、おまえは何に拠り頼んでいるのか。」」(列王記第二18:3、5ー6、13、19)

天のお父さん、ヒゼキヤは心を尽くしてあなたに従い、仕えました。それでも、困難は起こりました。そして、敵が来て叫びました。

「いったい、お前は何に拠り頼んでいるのか。」

私はヒゼキヤに共感できます。時々、私は正しいことを行い、あなたに頼り、忠実に仕えようとしますが、それでも困難が起こります。

そして、敵であるサタンが来て、私に叫びます。

「いったい、お前は何に拠り頼んでいるのか。神様なのか。」

サタンは、私があなたを疑うことを望んでいます。彼の動機は悪いものですが、その問いは実際に良いものです。

私はいったい何に拠り頼んでいるのでしょうか。私は本当にあなたに拠り頼んでいるのでしょうか。

試練が訪れるとき、自分自身に頼るのは簡単なことです。つまり、自分の力や知恵に頼るのは自然なことです。

しかし、もしかすると、この試練を通して、あなたは私に、私がどれほどあなたを必要としているかを思い起こさせてくださっているのかもしれません。

ヒゼキヤはエジプトに拠り頼むことをやめ、あなたに拠り頼み始めなければなりませんでした。(イザヤ書30-31章)

天のお父さん、私も、自分自身に頼ることをやめ、あなたに拠り頼む者となるよう助けてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。