私は、今日の御言葉が本当に大好きです。
実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。(エペソ人への手紙2:10)
ある英語の聖書では、「作品」という語を「傑作」と訳しています。
神様は退屈しのぎに私たちを造られたのではありません。いい加減な思いつきでもありません。
神様は、愛と喜びを込めて、私たちを造ってくださいました。ご自身のご計画に従って、私たちを形づくられたのです。そして神様は、私たちをご覧になると、心から誇っておられるのです。
さて、私はもう一つの語句に目を留めました。それは、「キリスト・イエスにあって造られた」という表現です。
この語句を以前に読んだとき、私はパウロが、母の胎内で私たちが形づくられることを指しているのだと思っていました。
しかし今回、「キリストにあって」という言葉をあらためて読むと、パウロがまったく別の創造について語っているのではないかと気づかされました。
もちろん、神様は私たちが母の胎にいるときから造っておられます。でも、私たちがキリストにある者となるとき、神様は私たちを「新しい創造」として、もう一度お造りになるのです。
それゆえ、パウロは次のように語っています。
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(第二コリント5:17)
神様が私たちを新しく造られたときの目的は、私たちが再び罪に戻り、自分自身のために生き続けることではありません。むしろ、神様のご計画は、私たちがご自身があらかじめ備えてくださった良い行いのうちを歩むことなのです。
言い換えれば、神様は私たちを新しく造る前から、すでに私たちのためにご計画を持っておられました。私たちが歩むべき働きも、出会うべき人々も、神様はすでに整えてくださったのです。
ですから、私たちは日々こう祈るべきです。「神様、今日、あなたのご計画は何でしょうか。私は何をするべきでしょうか。今日、私は誰に触れるべきでしょうか。」
けれども、現実にはそのように祈ることを忘れてしまいがちです。そのために、神様が整えてくださったチャンスを見逃してしまうことがあるのです。私自身も、神様が備えてくださった機会を見過ごしてしまったことがあったと感じます。
私たちは、そのように生きないようにしましょう。今日という日は、ただの「普通の日」ではありません。むしろ、神様があなたのために特別なご計画を持っておられる一日なのです。
だからこそ、神様が今日整えてくださったことを、心を開いて探し求めましょう。
