昔、有名な歌手ボブ・ディランが、こう歌いました。
確かに、誰かに仕えなくてはならない。
必ず誰かに仕えなくてはならない。悪魔に仕えるかもしれない。
主に仕えるかもしれない。
けれども、誰かに仕えなくてはならない。
ディランがこの歌を作ったのは、1979年のことです。 そのとき、それは確かに真実でした。 ヨシュアの時代にも、それは変わらず真実でした。 そして、今もなお、それは変わらぬ真実です。
この箇所で、ヨシュアはイスラエルの民に対して、神様が彼らのためにどれほど多くのことをしてくださったかを思い起こさせました。 けれども同時に、もし彼らが神様に背を向けるなら、神様は彼らを罰せられると警告しました。
さらにヨシュアは、彼らにアブラハムの父テラのことを思い出させます。 テラは、他の神々に仕えていました。 そしてイスラエルの民自身もまた、エジプトで他の神々に仕えていたのです。
そのような背景を語ったあとで、ヨシュアはこう言いました。
今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕えなさい。あなたがたの先祖たちが川の向こう、およびエジプトで仕えた神々を除き去り、主に仕えなさい。
もしも主に仕えることがあなたがたの気に入らないなら、川の向こうにいたあなたがたの先祖たちが仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のエモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、どれでも、きょう選ぶがよい。私と私の家とは、主に仕える。」(ヨシュア記24:14-15)
私たちもまた、同じ決断を迫られています。 私たちは、いったい誰に仕えるのでしょうか。 神様に仕えるのでしょうか。 それとも、自分自身に仕えるのでしょうか。
お金に仕えるのでしょうか。 性の「神」に仕えるのでしょうか。 力の「神」に仕えるのでしょうか。
誰に仕えるのでしょうか。
ヨシュアは、こう語りました。 「たとえ、あなたがたがどのような選びをするにせよ、私と私の家は主に仕える。」
おそらく、このブログを読んでいる多くの人は、同じように言うことでしょう。 けれども、「神様に仕える」とは、いったいどういう意味でしょうか。
まず第一に、それは他の偶像を捨てることです。 この世界には、目に見える偶像だけでなく、目に見えない偶像も数多く存在します。
仏教やヒンドゥーの像だけではなく、金銭の「偶像」や性の「偶像」、力の「偶像」もあります。 何かを礼拝するなら、それはすでに偶像になっているのです。
もし私たちが神様に仕えたいと願うなら、 神様を人生の第一にしなければなりません。 そして、あらゆるものを神様の御支配のもとに置くべきなのです。
ヨシュアはこう言いました。
今、あなたがたの中にある外国の神々を除き去り、イスラエルの神、主に心を傾けなさい。(24:23)
もちろん、それは、お金をすべて捨てることでも、結婚生活の中で性を断つことでも、リーダーシップの立場を降りることでもありません。 けれども、どんなことをするにも、私たちの心が神様に向かっていなければならないのです。
つまり、 「神様、あなたこそが私の人生の主権者です。 私の性においても、お金においても、立場においても―― 私の人生のすべてをあなたの御支配のもとに置きます。」 という姿勢が必要なのです。
そして、これまでに他の神々を礼拝してきたなら、 たとえば仏陀やアラーに向かって礼拝していたなら、 それをやめなければなりません。 なぜなら、二人の主に仕えることはできないからです。
ヨシュアは、こう言いました。
主は聖なる神であり、ねたむ神である。(24:19)
神様に仕えるということには、もう一つの大切な意味があります。 それは、心から神様を愛し、その愛ゆえに従っていくということです。
ヨシュアは、こう語りました。
あなたがたは、モーセの律法の書に記されていることを、ことごとく断固として守り行い、そこから右にも左にもそれてはならない。。。
あなたがたは、十分に気をつけて、あなたがたの神、主を愛しなさい。(23:6,11)
イエス様もこう語れました。
わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。(ヨハネ14:21)
しかし、もう一つ大切なことを心に留めておかなければなりません。 私たちは、自分の力だけでは神様に仕えることができないのです。
ヨシュアは、イスラエルの民にこう語りました。
あなたがたは主に仕えることはできないであろう。(24:19)
おそらく、ヨシュアがそう語ったとき、 彼は単にイスラエルの民にチャレンジを与えたかったのだと思います。
「あなたがたは本当に神様に仕える覚悟があるのか。 その約束は、心からのものなのか。」
けれども、その言葉は比喩ではなく、文字通りに正しかったのです。
聖霊が私たちの心の中で働かれなければ、 私たちは神様に仕えることができません。 聖霊が私たちを内側から造り変えてくださらなければ、 私たちは神様に従い続けることができないのです。
だから、私たちは日々、こう祈る必要があります。
「聖霊様、今日も、私の心を一新してください。 私の内側を清めて、あなたのかたちに似た者として造り変えてください。 私は、あなたに仕えたいのです。」
これこそが、神様に仕えるということの本当の意味です。
あなたは、誰に仕えているでしょうか。
