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イザヤ書

私たちが誰のものであるか思い出す

「私の人生。私のお金。私の物。私の体。」

どれほど私たちは、このような言葉を口にしているでしょうか。そして、そのような態度を取ることで、私たちはどれほど自分の人生を混乱させてしまうでしょうか。

自己中心的な態度を取ると、私たちは虚しい人生以外にはたどり着けません。

多くの人々は満足を求めて自己中心的になります。けれども、自己中心の生活は私たちを決して満足させません。むしろ、私たちはますます空虚さを感じるだけです。

この聖書の箇所において、その真理が明らかにされています。

イスラエルの民は、長い間自己中心的な態度を取り続けました。その結果、彼らは追放されることになりました。そして、彼らの魂は乾き、涸れてしまいました。

しかし、そのような中で、神様は彼らにこう語られました。

今、聞け、わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだイスラエルよ。あなたを造り、あなたを母の胎内にいる時から形造って、あなたを助ける主はこう仰せられる。

「恐れるな。わたしのしもべヤコブ、わたしの選んだエシュルンよ。わたしは潤いのない地に水を注ぎ、かわいた地に豊かな流れを注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。(イザヤ書44:1-3)

イザヤがこれを書いた時、ヨエルの言葉を思い浮かべていたのかもしれません。ヨエルはこう預言しています。「わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。」(ヨエル書2:28)

この箇所で神様が語っておられるのは、イスラエルの民が神様に背を向けてしまったにもかかわらず、彼らが依然として神様に選ばれた民であるという事実です。

だからこそ、神様は彼らを癒し、助けると約束されました。神様が彼らに聖霊を注がれる時、彼らの乾ききった、涸れた人生に新しい命が吹き込まれます。

その日、彼らの態度は大きく変わります。「私の人生、私の物、私の体だ」とはもう言わなくなるのです。むしろ、

ある者は『私は主のもの』と言い。。。ある者は手に『主のもの』としるし[ます]。(5)

それが、満たされた人生の鍵です。すなわち、聖霊に満たされた人生です。また、聖霊の臨在と力によってよみがえらされた人生です。

そのような人は自信を持ってこう言うでしょう。「私は神様の者です。」

あなたはどうでしょうか。心に空虚さを感じていますか。満たされていないと感じているでしょうか。

自分のためだけに生きていると、決して満足を得ることはできません。持ち物やお金、そしてこの世のものでは、私たちを完全に満たすことはできません。それらは決して人生に真の充実感をもたらしません。

しかし、神様のために生きるならば、また聖霊に満たされるならば、本物の平安と満足を見つけることができます。

あなたは誰の者ですか。そして、誰のために生きていますか。