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ヨハネの黙示録

神のご計画を成し遂げる方

数年前まで、私は黙示録の中心に福音があることに気づいていませんでした。

けれども、第1章で私たちが見たのは、黙示録が福音のメッセージから始まっているという事実です。今日の箇所でも、私たちは黙示録の核心が福音であることを見出します。さらに、黙示録の最後の章では、福音の完成が描かれています。

第4章では、天の父が御座に着いておられ、神がふさわしい礼拝と賛美を受けておられます。

けれども、第5章で、ヨハネは新たなことに気づきます。天の父の右手には巻物があり、その巻物の内側にも外側にも文字が記され、七つの封印で厳かに閉じられていました。

ローマ帝国の時代、遺言はそのように記されました。巻物の外側の文字には遺言の要点が記され、実際にその遺言を実行するためには、誰かが封印を解いて巻物を読み解かなくてはなりませんでした。

神の巻物には、神の御心と救済の計画すべてが記されていました。とはいえ、その封印がまだ解かれていなかったため、神の計画は実行に移すことができませんでした。その時、強い御使いが叫びを上げました。

巻物を開き、封印を解くのにふさわしい者はだれか。(黙示録5:2)

その反応は何だったでしょうか。 それは沈黙でした。

ちょっと考えてみてください。

神様の御座の回りには、24人の長老たちが座っていました。四つの生き物もいました。何万人もの御使いたちもいました。

地上にも、たくさんの素晴らしいクリスチャンがいました。たとえば、イエス様が特別に愛された弟子ヨハネは、まだこの世に生きていました。

他のクリスチャンたちは亡くなって、天にいました。ペテロやパウロも、すでに天にいました。

けれども、巻物の封印を解き、それを読むにふさわしい者は、誰ひとりいませんでした。

だから、ヨハネは泣き始めました。神のご計画が無駄になってしまうと思ったからです。その計画は読まれることもなく、実行されることもなく、永久に眠ってしまうと思いました。

ところが、長老の一人がヨハネに語りかけました。

泣いてはいけません。ご覧なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利したので、彼がその巻物を開き、七つの封印を解くことができます。(5)

ヨハネが目を上げたとき、彼はイエス様のお姿を見ることを予想していたかもしれません。あるいは、イエス様を象徴するライオンの姿を目にすることを予想していた可能性もあります。ところが、彼が目にしたのは子羊でした。それも、普通の子羊ではなく、屠られた姿の子羊でした。

もしかすると、ヨハネは多くのユダヤ人と同じように、メシアについて誤ったイメージを抱いていたのかもしれません。勝利を収めるメシアと聞いて、人々は国々を打ち破るライオンの姿を思い描いたことでしょう。

もちろん、イエス様はライオンです。けれども、イエス様が勝利を得る方法は、子羊として死なれることでした。イエス様はライオンであり、子羊なのです。

その子羊は七つの角を持っていました。これらの角は、イエス様の力を表しています。また、七つの目は、イエス様がすべてをご存知であることと、聖霊の臨在を表しています。まさにその力と御霊によって、イエス様は復活され、勝利を得られました(エペソ1:19〜20;ローマ8:11)。

とにかく、イエス様がその巻物を取られると、四つの生き物と24人の長老たちは、いつも歌っている賛美(4:8、11)を中断し、新しい歌を歌い始めました。

あなたは、巻物を受け取り、封印を解くのにふさわしい方です。(9a)

なぜ、イエス様はその巻物を受け取るにふさわしいお方なのでしょうか。

あなたは屠られて、すべての部族、言語、民族、国民の中から、あなたの血によって人々を神のために贖い、私たちの神のために、彼らを王国とし、祭司とされました。彼らは地を治めるのです。(9b-10)

この言葉によって、私たちは福音の全体像と、神様の永遠のご計画を見渡すことができます。イエス様の血によって、私たちは自分の罪から贖われ、神の民、国、そして祭司として立てられました。

そして、神様がすべてのものを新しくされるとき、私たちは永遠に神に仕え、新しい天と地を治めるのです。

こうして、天と地のすべての被造物が共に叫びます。

屠られた子羊は、力と富と知恵と勢いと誉れと栄光と賛美を受けるにふさわしい方です。。。

御座に着いておられる方と子羊に、賛美と誉れと栄光と力が世々限りなくあるように。。。アーメン。」(12-14)

それこそが、黙示録の中心的なテーマです。それは、福音と、その福音を実現した方—ライオンであり子羊である—を描いています。

この福音によって、私たちは希望を持っています。なぜなら、神様のご計画がすべて成し遂げられるという確信があるからです。

ですから、神様の御使いたち、そして天と地のすべての被造物と共に歌いましょう。「子羊は、ふさわしい方です。」

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ヘブル人への手紙

クリスマスの意味(2)

どうして、この世はこれほどまでに混乱し、壊れてしまったのでしょうか。

この問いに向き合わないかぎり、私たちはクリスマスの意味を真に語ることはできません。

今日の聖書箇所で、この手紙の著者は、この世界の混乱の根本にある問題を明らかにしています。

彼によれば、この世がやがて新しくされるとき、それを治めるのは天使ではなく、人間なのです(へブル人への手紙2:5)。

その驚くべき真理に触れ、著者はまるで詩編の詩人のように、主を賛美せずにはいられません。

人とは何ものなのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。

あなたがこれを顧みてくださるとは。あなたは、人を御使いよりわずかの間低いものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせ、万物を彼の足の下に置かれました。(へブル人への手紙2:6-8)

この箇所で詩編の詩人も、この手紙の著者も、イエス様についてではなく、人間について語っています。

彼らが驚いているのは、人間がもともと地のちりで造られた存在であり、今もなお、天使よりわずかの間低い者とされているにもかかわらず、やがて栄光と誉れの冠をいただき、すべてのもの(天使たちをも含む)を治めるようになる、ということです。

使徒パウロによれば、ある日、私たちは天使たちさえ裁くことになるのです(第一コリント6:3)。

神様がこの世を創造された初めから、それはご自身のご計画でした。

そのため、神様がアダムとエバを造られたとき、こう言われました。

生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。(創世記1:28)

そういうわけで、この手紙の著者はこう語っています。

神は、万物を人の下に置かれたとき、彼に従わないものを何も残されませんでした。(8b)

しかし、それは今の私たちの現実なのでしょうか。

この手紙の著者は、続けてこう言います。

それなのに、今なお私たちは、すべてのものが人の下に置かれているのを見てはいません。(8c)

どうしてなのでしょうか。

この世の根本的な問題――それは「罪」です。

罪によって、この世は堕落しました。

罪によって、神様との私たちの関係は壊れました。

罪によって、この世界そのものが壊れてしまいました。

罪によって、私たち自身も壊れた存在となってしまいました。

罪によって、災害や病、そして死がこの世に入り込んできたのです。

だからこそ、イエス様はこの世に来られなければなりませんでした。

そして、この手紙の著者は、続けてこう言います。

ただ、御使いよりもわずかの間低くされた方、すなわちイエスのことは見ています。

イエスは死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠を受けられました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。(9)

イエス様は天を離れ、人となられました。

イエス様は天使よりも、しばらくの間低くされ、私たちの間を歩まれました。そのおからだは死すべきものであったため、病を患われることもあり、やがて十字架で死なれたのです。

けれども、その死を通して、イエス様は私たちの罪のために代価を支払ってくださいました。

そして、イエス様は栄光と誉れの冠を受けられました。救いの「指導者」、あるいは「先駆者」(10節、「創始者」の別訳)となられたのです。

イエス様は私たちに先立ってこの世に来られ、完全な人生を生き、十字架の苦しみを受け、私たちのために死んでくださいました。

そのゆえに、私たちはイエス様が開いてくださった救いの道を歩むことができるのです。

私たちがその道を造る必要はありません。その道はすでに整えられました。イエス様が、私たちのために労してくださったからです。

では、このことを振り返ってみましょう。

なぜ、イエス様は2,000年前、この世に来られたのでしょうか。

そういうわけで、子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。

それは、死の力を持つ者、すなわち、悪魔をご自分の死によって滅ぼし、死の恐怖によって一生涯奴隷としてつながれていた人々を解放するためでした。(14-15)

私たちは、罪と死の力から自由にされたにとどまらず、神様が初めからご計画なさっていたとおりに、イエス様の共同相続人として、栄光と誉れの冠を受け、イエス様と共にこの世を治めるようにされているのです。

これこそが、クリスマスの意味です。

ですから、私たちは2,000年前に神様がなさったことだけでなく、今この瞬間になさっていることをも感謝しましょう。そして、将来なさろうとしていることにも、心から感謝をささげましょう。

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エペソ人への手紙

神様の愛によって選ばれて、祝福された

エペソ人への手紙1~2章を読むと、神様がイエス様を信じる私たちに何を与えてくださったのか、その驚くべき恵みにあらためて心を打たれます。

パウロは、この手紙を賛美の言葉で始めています。

私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。(エペソ人への手紙1:3)

私たちは、どのような祝福を受けたのでしょうか。

すなわち神は、世界の基が据えられる前から、この方にあって私たちを選び、御前に聖なる、傷のない者にしようとされたのです。

神は、みこころの良しとするところにしたがって、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。

それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。

このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。この恵みを、神はあらゆる知恵と思慮をもって私たちの上にあふれさせ。。。(4-8)

それは、なんと素晴らしいことでしょう。パウロによれば、神様はこの世を造られる前から、すでに計画を持っておられました。神様は、私たちがご自分の御前で聖く、傷のない者となるように、私たちを選ばれたのです。

私たちが罪深く、反抗的な者になることをよくご存じであったのに、それでもなお神様は私たちを選ばれました。

そのため、神様は私たちを救い、ご自分の子として養子にする計画を立ててくださいました。

私たちの罪が赦されるようにと、イエス様をお遣わしになりました。イエス様は十字架で死なれ、私たちの罪の罰を身代わりに受けてくださいました。

イエス様の血によって、神様は罪の奴隷であった私たちを自由にし、ご自分に愛されている息子や娘として、私たちを養子にしてくださいました。

さらに、「聖霊様は、私たちが御国を受け継ぐことの保証です。」(14節)

聖霊様は私たちを守り、サタンが私たちの神様との関係を壊そうとする試みを阻んでくださいます。また、聖霊様の臨在と、私たちの人生におけるその働きは、天国の片鱗です。なぜなら、天国に行けば、私たちは神様の御業を見、神様のみ顔を仰ぐことができるからです。

なぜ神様はそのように私たちを祝福してくださるのでしょうか。それは、私たちの良い行いへの報いなのでしょうか。いいえ、そうではありません。神様のみこころの良しとされるところに従って、そうしてくださったのです。

神様が選ばれたとき、誰を救い、誰を救わないかを無作為に決められたのではありません。むしろ、パウロによれば、神様は愛をもって私たちを選ばれました。私たちはその愛にふさわしくなかったのに、それでも神様は愛をもって、私たちに豊かな恵みを注いでくださいました。

神様がなぜ私たちを選ばれたのか、私たちには決して分からないでしょう。しかし、神様はご自身のご計画に基づいて、私たちを愛してくださったのです。

そういうわけで、救いの栄光は私たちに属するものではありません。むしろ、この個所で、パウロは三度こう語っています。「このすべては、神様の栄光のためです。」(6、12、14)

簡潔に言えば、私たちは神様の驚くべきご計画の一部です。その計画とは、この反抗的で罪深く、混乱した世界を、イエス様の支配のもとに一つにまとめ上げることです。

率直に言うと、私はこの真理の素晴らしさを十分に伝えることはできないと感じています。

神様とその恵みの素晴らしさを語り尽くせる言葉は、私にはないと思います。

だからこそ、私はしばらく黙って、その恵みを静かに噛み締めたいと思います。

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ローマ人への手紙

私たちの希望の理由(2)

この箇所では、私たちが苦しみの中で希望を持つ理由をもう一つ見いだすことができます。それは、神様が永遠の昔から私たちのために計画を持っておられたことです。

パウロはこう記しました。

神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。

神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と認め、義と認めた人たちにはさらに栄光をお与えになりました。(ローマ人への手紙8:29-30)

多くの人々は、自由意志や予定説(すなわち、神様があらかじめすべてを定めておられること)という概念について考えると混乱します。

他の記事で私はこのテーマについて触れましたし、また9章について書くときに、改めてこのことを論じる予定です。

しかし、まずはクリスチャンにとってのパウロの言葉の意味を考えてみましょう。

あなたが生まれる前から、神様はあなたのことを深く知っておられました。

エペソ人への手紙1章で、パウロはこう述べています。神様はこの世を創造される前から、すでにあなたを知っておられました。

神様はあなたの良い面も、弱さも、すべてをご存じです。神様はあなたの得意なことも不得意なことも理解しておられます。

そして、あなたがどのような善を行い、どのような過ちを犯すかも、すべてをご存じです。

それでも、神様はあなたを選ばれました。そして、あなたのために良い計画を立てておられます。その計画とは、あなたが神様の御子のかたちに変えられることです。

神様は、あなたが罪深く、弱く、反抗的になってしまうことをすべてご存じでした。それでもなお、神様は恵みを与え、あなたを栄光に満ちた存在へと変えることを計画されたのです。

その計画を成就するために、神様はあなたを召されました。あなたが神様を求めていなかったとしても、神様はあなたを召されました。

そして、あなたが信仰を持って神様に向かうと、神様はあなたを義と認められました。イエス様が十字架の上であなたの罪の代価を支払われたので、神様はあなたに関して「無罪」と宣言することがおできになります。

そして、ある日、神様はあなたに栄光を与えてくださいます。イエス様と同じような栄光の体を授けてくださいます。その体は決して朽ちることなく、罪に汚れることもありません。それは、真に栄光に満ちたものなのです。

それは、神様があなたのために立てられた計画です。そして、その計画は確実なものです。結局のところ、神様の計画を変えられるものは何一つ存在しません。

神様は永遠の昔からすべてを知っておられるので、私たちを見てこう言うことは決してありません。

「あれ?彼を選んだけれど、ダメになってしまった。彼の人生はめちゃくちゃだ。もうどうしようもない。私でさえ彼を救うことができない。」

神様は、決してそんなことを言われることはありません。神様は、そもそもあなたのすべてを知っておられた上で、あなたを選ばれたのです。

そして、パウロは私たちへの神様の賜物について、こう記しています。

神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。(ローマ人への手紙11:29)

あなたは、自分自身を見つめたとき、気が重くなることはありますか。クリスチャンとして思うように成長していないと感じ、失望してしまうことはあるでしょうか。

神様はあなたに失望されることはありません。神様は、はるか昔からあなたを知っておられます。神様はそもそも、あなたがイエス様のかたちに変えられるまでにどれだけの時間がかかるかを完全に理解しておられます。

だからこそ、神様は決してあなたを見放されることはありません。

そして、どんな試練に直面しても、その試練が神様の計画を狂わせることは決してありません。神様が驚かれることはなく、すでにあなたをどのように助けるかを知っておられます。

だから、苦しみの中でも絶望せず、パウロの言葉を心に留めてください。

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ人への手紙8:28)

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使徒の働き

神様のご計画のすべてを伝えている?

パウロはエペソの人々にこう語りました。

ですから、今日この日、あなたがたに宣言します。

私は、だれの血に対しても責任がありません。私は神のご計画のすべてを、余すところなくあなたがたに知らせたからです。(使徒の働き20:26-27)

「神のご計画のすべて」とは、一体どういうことでしょうか。

この箇所では、パウロの言葉の意味を知ることができます。パウロはローマの総督フェリクスの前に立ち、ユダヤ人たちの言いがかりを否定しました。

その日、フェリクスは何も決断しませんでした。けれども、その後、彼は何度もパウロと話しました。その時、パウロは自らの信仰について語りました。

もちろん、パウロは神様の愛やイエス様の十字架の働き、そして信仰による救いについて話したことでしょう。しかし、パウロはもう一つの重要なことについても語りました。

パウロが正義と節制と来るべきさばきについて論じた。。。(使徒の働き24:25a)

つまり、パウロはこう語りました。「神様の目にあなたは罪人です。悔い改めなければ、あなたは必ず裁かれます。」

フェリクスはどのように反応したでしょうか。

フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする。」と言った。(25b)

福音とは、ただ「神様はあなたを愛している」というメッセージではありません。

福音は次のようにも語ります。

「深刻な問題があります。真の王はこの世に来て、この世界を裁き、すべてを癒してくださいます。けれども、あなたはその備えができていないのです。あなたは正当な王に罪を犯し、その正しい裁きに直面することになります。」

もし私たちがこのことを伝えないなら、神様の計画のすべてを知らせていないことになります。そして、彼らが地獄へ行ってしまったなら、その血に対する責任は私たちにあるのです。

もちろん、私たちの目的はただ彼らを怖がらせることではありません。

福音は「良い知らせ」です。つまり、王は良いお方で、私たちの罪にもかかわらず、私たちを深く愛してくださいます。

そして、イエス様の十字架の働きによって、私たちはただ地獄から救い出されるだけではなく、イエス様は私たちに豊かな人生を与えてくださり、神様の喜びと平和を知ることができます。

地獄と神様の裁きへの恐れよりも、私たちはこの素晴らしい恵みに目を向けるべきだと思います。

とはいえ、私たちは彼らに警告すべきです。「もし王であるイエス様を拒絶するなら、あなたは必ず裁かれます。」

フェリクスのように、それを聞いて恐れてしまう人もいるでしょう。彼らは「今はそのことについて話したくない」と言うかもしれません。しかし、彼らの反応は私たちの責任ではありません。

私たちができることは、忠実に神様のメッセージを伝えることだけです。

あなたはどうでしょうか。あなたは神様の計画のすべてを人々に伝えていますか。

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使徒の働き

神の御名のもとに自分の計画成し遂げようとする?

この箇所はとても興味深いです。パウロと他の宣教師は各地へ行こうとしましたが、御霊に「行ってはならない」と言われました。

そのため、おそらく数日間、あるいは数週間の間、パウロたちは少しフラストレーションを感じていたでしょう。しかし、ある日、パウロは幻を見ました。その幻の中で、一人のマケドニア人がこう言いました。

マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください。(使徒の働き16:9)

だから、パウロたちはすぐにマケドニアへ向かいました。

私たちはこの話から何を学ぶことができるでしょうか。

私たちは神様の御心に従っているつもりで、あちこちへ行くことが簡単にできます。しかし、何度も障害にぶつかり、フラストレーションを感じてしまうことがあります。

私たちの問題は何でしょうか。多くの場合、私たちは実際には神様の御心に従っていないのです。むしろ、私たちは神様の名のもとに、自分の計画を成し遂げようとしているのです。

ですから、ミニストリーをしていてフラストレーションを感じるときは、少し静まりましょう。そして、神様を求めましょう。

「神様、私の計画を祝福してください」と祈るのではなく、「神様、あなたが何をなさっているのか教えてください。私がどのようにあなたの働きに加わることができるのか教えてください」と祈りましょう。

そうすれば、神様は御心をあなたに示してくださいます。

あなたはどうでしょうか。あなたは本当に神様の御心に従っているでしょうか。それとも、もしかすると、自分の計画に神様の名前を付けているだけでしょうか。

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マタイの福音書 マタイ27章 マタイ28章

だれも妨害できない神様の計画

ちょっと考えてみると、これは非常に面白い聖書の話です。

パリサイ人たちや祭司長たちは、弟子たちがイエス様の遺体を盗み、イエス様がよみがえられたと宣言することを懸念しました。そのため、彼らはピラトにイエス様の墓を警備するよう頼みました。

ピラトはその依頼を受け入れ、番兵を派遣しました。

ところが、三日目に地震が起こり、天使がイエス様の墓を覆っていた石を転がし、その石の上に座りました。番兵たちはその光景を目撃し、恐怖のあまり気を失いました。

パリサイ人たちや祭司長たちが混乱し、苛立っている様子を想像してみてください。おそらく、彼らは互いにこう問い合ったでしょう。

「どうして私たちは番兵を頼んだのだろう?空っぽの墓をどう説明すればいいのだろう?番兵たちが眠ったという話を信じる人はいないし、弟子たちが番兵を倒したという話も信じられるはずがない。一体どうしたらいいのだろう?」

この話から、私たちは重要な教訓を学ぶことができると思います。

人々は、神様の計画を妨害したり、自分の目的を果たそうとしたりして、さまざまな計画を立てることができます。

しかし、最終的には神様の計画を妨害することはできません。神様の目的は確固として立ち続けます。

多くの人々は人間の自由意志と神様の主権に関して疑問を抱くことがあります。私はそのすべての答えを持っているわけではありませんが、この箇所を通して、私たちはその答えの一端を見ることができると思います。

パリサイ人たちと祭司長たちは、自分たちの自由意志によって番兵を頼みました。神様はその選択を阻止することはありませんでした。

けれども、彼らが選択をした後、神様はご自身の選択をされました。

神様はイエス様を復活させ、石を転がし、番兵たちに恐怖を与えました。

このように、神様は私たちの選択を許してくださいます。しかし、その後、神様はご自身の選択をされます。だからこそ、私たちは神様の計画を妨害することはできません。

パリサイ人たちと祭司長たちはイエス様のお墓で神様の計画を阻止することができませんでした。そして、これからも神様の計画を妨害できる人は誰もいないでしょう。

だからこそ、確信を持って神様を賛美しましょう。神様はすべてを支配しておられ、その計画は必ず成し遂げられるからです。

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ルカの福音書 ルカ2章

すべてを治めておられる神

ルカは、イエス様の出産について記したとき、その背景についても教えています。それは、皇帝アウグストの時代のことでした。彼はローマ帝国の支配者でした。

アウグストは、マルクス・アントニウスとクレオパトラの軍隊を打ち破り、ローマ帝国初の皇帝となりました。そして、彼は自らの権力を行使してローマに平和をもたらしました。このとき、パクス・ロマーナ(ローマの平和)が始まりました。

けれども、彼が知らなかったのは、自分に優る王がすぐに生まれようとしていたことです。彼はローマ帝国を治めていると思っていましたが、より強いお方が彼を通して計画を進めていたことには気づいていませんでした。

皇帝アウグストは全世界の住民が登録されるよう命じました。おそらく、それは税金のためだったのでしょう。彼の命令によって、すべての人々が出身地に戻り、登録する必要がありました。

ヨセフとマリヤは、どのように感じたのでしょうか。多くの人は、彼らがその勅令を聞いた時、マリヤの妊娠が10ヶ月ほどであったと考えます。それはその通りかもしれませんが、真実はわかりません。

いずれにせよ、ヨセフは「神様、どうして今この勅令が出たのでしょうか。今行けば、マリヤにとって本当に大変です」と考えたかもしれません。

しかし、神様には良い理由がありました。おそらく、一つの理由は、ナザレでヨセフとマリヤについて多くの噂が広まり、本当に大変だったからでしょう。彼らは結婚していないのに、マリヤが妊娠していたためです。

もう一つの理由がありました。その登録のために、予言者ミカが何百年前に予言した通り、イエス様はベツレヘムで生まれました。(ミカ書5:2)

皇帝アウグストは、自分がすべてを支配していると思っていましたが、実際には神様が治めておられました。皇帝アウグストのパクス・ロマーナ(ローマの平和)は約200年続きましたが、最終的にアウグストが築いたものは滅びました。

一方で、イエス様を通して、神様は永遠の王国を始められました。その王国を打ち倒すことができる者はだれもいません。そして、いつの日か、この世に本当の平和が訪れ、その平和は永遠に続きます。

あなたはどうでしょうか。すべてをコントロールしていると思いますか。つまり、自分の人生を完全に掌握していると思いますか。

どうか、自分より偉大な方がいることを忘れないでください。もし自分の知恵と努力だけで人生を築くなら、最終的にはその築いたものが崩れ去るかもしれません。

また、神様が本当にこの世を治めていることに疑問を持ったことはありますか。あなたは、なぜ神様がトラブルをあなたの人生に許されるのか、問いかけることがありますか。

神様を信頼し続けてください。なぜなら、神様はご自身の計画を実現されているからです。私たちにはその計画が見えないこともあるかもしれませんが、いつかその計画が理解できる日が来るでしょう。

その日には、天使たちとともに、私たちも声を上げて神様を賛美することでしょう。

いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。(ルカの福音書2:14)

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ミカ書

神様の計画

神様について考えると、いつも「不思議だなあ」と感じます。

一つ興味深い点は、神様が決して驚かれることがないということです。この世界で何が起こっても、神様は驚かれません。

一方で、私たちはよく驚き、パニックになります。そのため、時々私たちは神様もそのような方だと思いがちです。

例えば、私たちはこう考えるかもしれません。「アダムとエバが罪を犯したとき、神様は驚かれたためにパニックになり、急いで新しい計画を立てなければならなかった。」

または、「イスラエル人を自分の民として選ばれたが、彼らが神様に背を向けたとき、神様はショックを受け、急いで新しい計画を立てなければならなかった。」

けれども、最初から神様はアダムとエバの選択を知っておられました。イスラエル人の選択も知っておられました。ですから、その知識に基づいて神様はご自身の計画を立てられたのです。

この箇所でそのことが示されていると思います。この箇所では、神様がイスラエル人を彼らの罪のために懲らしめられました。

なぜ、あなたは今、大声で泣き叫ぶのか。あなたのうちに王がいないのか。あなたの議官は滅びうせたのか。子を産む女のような苦痛があなたを捕らえたのか。

シオンの娘よ。子を産む女のように、身もだえし、もがき回れ。今、あなたは町を出て、野に宿り、バビロンまで行く。(ミカ書4:9-10)

つまり、私はあなたたちの王であるべきでした。私はあなたたちの議官であるべきでした。けれども、あなたたちは私に背を向け、頼りにしていた人々はいなくなりました。だから、あなたたちはバビロンに追放される、と神様は言われています。

それでも、神様はイスラエル人のために計画を持っておられました。神様はこう言われました。

そこであなたは救われる。そこで主はあなたを敵の手から贖われる。(10b)

神様はパニックになって、計画を変えられたわけではありません。むしろ、神様は予めイスラエル人が何をするか、そしてイスラエル人の反応をすべてご存じでした。

だから、神様にはすでにご用意された計画がありました。それは、イスラエル人をその罪のために罰することですが、その後で憐れみと恵みによって彼らを贖われることです。

では、神様の計画がどうしても成就されるから、私たちの選択は何を選んでも構わないのでしょうか。

いいえ、そうではありません。私たちにとって、私たちの選択は非常に重要なのです。なぜなら、私たちが神様の計画に従うなら、神様の祝福を受けるからです。しかし、従わなければ、必ず苦しみが訪れるのです。

イスラエル人は追放されたとき、そのことを学びました。

イスラエルを打倒した国々も同じことを学びました。神様はその国々に関してこう言われました。

今、多くの異邦の民があなたを攻めに集まり、そして言う。「シオンが犯されるのをこの目で見よう」と。

しかし彼らは主の御計らいを知らず、そのはかりごとを悟らない。(11-12)

その国々は神様の計画を知らず、神様に逆らったため、結局イスラエル人のように砕かれました。けれども、悔い改めて救われたイスラエルの残りの者とは違い、その国々には救いがありませんでした。

あなたはどうでしょうか。神様の心を求めていますか。神様の計画に従っていますか。それを行うなら、本当の命を見つけることができます。けれども、そうしなければ、パロやバビロン、そして神様に逆らった他の国々のように、あなたも砕かれてしまうのです。

だから、モーセの言葉に耳を傾けましょう。

あなたはいのちを選びなさい。あなたもあなたの子孫も生き、あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり[ます。] (申命記30:19-20)