カテゴリー
詩篇のデボーション

神の慈しみと配剤

今日の詩篇を読むと、山上の説教にあるイエス様の御言葉を連想しました。

ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。

いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。

空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。

あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。(マタイ6:25ー26)

私は分からないけど、もしかしたら、イエス様はその言葉を言われたとき、この詩篇を考えておられたかもしれません。

この詩篇では、詩人は何回も、神様が動物に食べ物や、水や、住まいを備えてくださることについて話します。

もし神様が動物のことを心配してくださるなら、神様が私たちのことを心配してくださることはなおさらでしょう。

でも、どれだけ私たちは自分の心配事をくよくよとするでしょうか。

そうせずに、詩人の祈りを歌った方がいいと思います。

私はいのちの限り、主に歌い、生きるかぎり、私の神をほめ歌います。

私の心の思いが みこころにかないますように。

私は主を喜びます。(詩篇104:33ー34)