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詩篇

全能の神の陰に宿ること

私が好きな本の一冊は「Shadow of the Almighty」(つまり、全能の神の陰)という本です。この本はジム・エリオットという宣教師について書かれています。彼は南米のアウカ族に対する宣教師でした。

この本の中には、彼の手紙や日記の書き入れがあります。残念ながら、日本語の翻訳はないのですが、もしあなたが英語ができるなら、私はその本を本当に勧めます。

皮肉なことに、その本のタイトルはこの詩篇から取られていますが、エリオットの人生のうわべを見ると、彼が本当に神様の陰に宿っていたかどうか疑うかもしれません。

詩篇91篇は神様の陰に宿る人の祝福について話します。詩人はその人についてこう言います。

あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。

また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。

千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、それはあなたには、近づかない。(詩篇91:5-7)

そして、彼はこの詩篇をこの素晴らしい言葉で終えます。

それはあなたが私の避け所である主を、いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。

わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。

まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。

彼らは、その手で、あなたをささえ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにする。

あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、若獅子と蛇とを踏みにじろう。

彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。

彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。

わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。(9-16)

それでは、エリオットはどのように死んだのでしょうか。実は、彼が福音を述べ伝えた人々が彼を殺してしまったのです。

それは神様の人々に対して、異常なことではありません。多くの人々は神様に従ったのに、暴力的な死を経験しました。

イザヤやエレミヤやペテロやヤコブやパウロは神様に従ったけれど、神様の敵に殺されました。

では、私のポイントは何でしょうか。神様の言葉が間違っているということでしょうか。とんでもない。

しかし、もしこの詩篇によって、私たちがこの壊れた世界で決して苦しまないと思うなら、その詩人の意味を誤解しているのです。

なぜなら、その詩人が(モーセかもしれませんが、私は分かりません)きっと神様の陰に宿る人々が苦しむのも見たことがあったと思うからです。

それでは、この詩人は何を言っているのでしょうか。

もし、私たちが神様の陰に宿るなら、私たちがどんな試練に直面しても、神様が私たちを決して見捨てないことを確信できます。神様は私たちを守るために天使を送ってくださり、神様ご自身が私たちと共におられます。

そして、死の陰の谷を歩いても、その谷の反対側にきっと辿り着くことができます。

そのとき、私たちが振り返るなら、神様が最後まで私たちとともにおられたことを見るでしょう。

私たちは神様が私たちの絶望の叫びを聞いてくださったことを悟り、私たちをいろんな災いから守ってくださったことも理解します。また、私たちは神様からの救いを見ます。

ジム・エリオットが天国に着いた時、そのように見えたと思います。彼の救い主は微笑んで、こう言われたでしょう。

「よくやったよ。あなたの死による実を見てごらん。あなたの妻と友達がもう一度アウカ族のところに行って、福音を述べ伝えたので、アウカ族はクリスチャンになった。

それに、あなたを殺した人々もクリスチャンになったよ。あなたはよくやったよ。」

だから、どんな試練に直面しても、神様の陰に宿りましょう。