すると、兵は言った。「あなたが良いと思うようにしてください。」
しかし、祭司は言った。「ここで、われわれは神の前に出ましょう」(サムエル記第一14:36)
兵の言葉は、士師記の時代のイスラエルの態度に似ていました。その時代、「王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていました」。(士師記21:25)
しかし、サウルは王となり、神様を求める者であるはずでした。(申命記17:18-20)
それなのに、イスラエル人たちはサウルにこう言いました。「あなたが良いと思うようにしてください」。
このことは、サウルの生涯を通じて現れた最大の問題でした。彼は口では「神様を求めたい」と言いましたが、神様を求めることを忘れた時もありました。(36)
また、神様を求め始めたものの、すぐにあきらめてしまった時もありました。(19)
さらに、エフタのように(士師記11:30-31)、神様を求める代わりに、神様を操ろうとして愚かな誓いを立てました。
この話を読んで、私は考えました。「神に対する私の態度はどうなのか?」
決断の時、私は本当に神様を求めているでしょうか。それとも、ただ自分が良いと思うことを行っているだけでしょうか。
私の願いをかなえていただくために、神様を操ろうとしているのでしょうか。
それとも、私は本当に神様に仕え、神様の心に従いたいと願っているのでしょうか。
サウルの何年か後、神様は別の王にこう言われました。
主はその御目をもって全地を隅々まで見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々御力を現してくださるのです。(歴代誌第二16:9)
