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詩篇

私たちの努力の限界

ソロモンは詩篇127篇を書いたのですが、私はこの詩篇を読むと、ネヘミヤの話を思い浮かべます。

ソロモンはこう書きました。

主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。

主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。(詩篇127:1)

もちろん、ネヘミヤは自分の計画を立てました。ユダヤ人の敵がエルサレムを脅した時、彼は対策を練りました。とはいえ、神様がユダヤ人と共におられなかったら、その計画は虚しかったでしょう。

私たちが自分の役割を果たすことと、神様に信頼して委ねることのバランスがあります。

もし、私たちが座っているだけで何もしないなら、神様の祝福は期待できません。けれども、神様が私たちの計画の中心でなければ、私たちの努力は虚しくなるでしょう。

多くの場合、私たちはこう祈ります。「神様、私たちはこうすることにしました。私たちの計画を祝福してください。」

しかし、私は最初からこう祈るべきです。「神様、あなたの御心を教えてください。私たちはどうすれば良いでしょうか。」

ネヘミヤの話を見ると、彼が何をしても、いつも祈っていたことが分かります。私たちもそうするべきです。

ソロモンはこう書きました。

あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。

主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。(2)

多くの人々の問題は、その人生を仕事中心にすることです。けれども、彼らは自分の健康と家族を放置してしまいます。

もちろん、仕事は大切なのですが、私たちの優先順位が正しいかどうか確認しなくてはなりません。私たちはちゃんと寝るべきだし、ちゃんと食べるべきだし、家族と一緒に時間を過ごすべきです。

ソロモンはそれを理解していました。特に家族の大切さが分かっていました。だから彼はこう書きました。

見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。(3)

もし、あなたの仕事が大変すぎて、ちゃんと寝られず、しっかり食事をとれず、家族と時間を過ごせないなら、新しい仕事のために祈った方が良いと思います。

とにかく、心に留めてください。あなたの人生を神様中心にしてください。そうすれば、あなたの努力は決して虚しくなりません。しかし、そうしないなら、あなたの努力は最終的に虚しくなります。