ピラトと祭司長たちのやり取りは非常に興味深いものです。ピラトは十字架の上にイエス様の罪状書きを掲げました。その「犯罪」とは?
「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」。
祭司長たちはすぐにピラトのもとへ行き、抗議しました。彼らはこう言いました。「『ユダヤ人の王』と書かずに、『この者はユダヤ人の王と自称した』と書いてください。」
けれども、ピラトは答えました。「私が書いたものは、そのままにしておけ。」(ヨハネ19:21-22)
今もなお、多くの人々はユダヤ人たちのような態度を取っています。彼らはイエス様を王として認めようとしません。彼らはイエス様が神の子であると認めたくありません。また、イエス様だけが神様への道であると認めたくありません。
そのため、彼らはクリスチャンたちに不平を言います。
「イエス様がご自身を王や神の子や神様への道だと自称したかもしれませんが、私はそうは信じません。」
しかし、私たちはピラトとは違い、私たち自身よりも遥かに優れた権威を持つ方を指すことができます。私たちは彼らにこう言うことができます。
「神様が書かれたものは定められています。あなたはその言葉を変えることはできません。あなたは神様の御心を変えることもできません。神様の言葉は永遠に立ちます。あなたの不信が、神様の言葉を変えることはありません。」
人々はこのような言葉を聞きたくないでしょう。祭司長たちもピラトの言葉を聞いて激怒したはずです。けれども、相手がその言葉を好むかどうかは問題ではありません。なぜなら、神様の言葉は正しいのです。
だからこそ、人々は選択を迫られます。
彼らは自分の心をその真理に合わせるでしょうか。それとも、彼らが信じたいと思うものに真理を曲げようとするでしょうか。
しかし、もし彼らが真理を曲げようとするならば、最終的に彼らの人生は砕かれてしまいます。
イエス様はご自身について、こう言われました。
あなたがたは、聖書に次のようにあるのを読んだことがないのですか。
「家を建てる者たち(つまり、祭司長たちや、ほかの宗教的なリーダーたち)が捨てた石(つまり、イエス様)、それが要の石となった。これは主がなさったこと。私たちの目には不思議なことだ。」。。。
また、この石の上に落ちる人は粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を押しつぶします。(マタイ21:42,44)
祭司長たちがイエス様を拒絶した結果、彼らの世界は崩壊しました。エルサレムは滅び、神殿は破壊されました。そして、裁きの日には彼らは自分の罪によって裁きを受けることになるのです。
イエス様を拒絶するすべての人々にも同じことが起こります。なぜなら、神様が書かれたことは定められているからです。
その言葉を聞いて、あなたはどう応えるでしょうか。
