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テモテへの手紙第ー

神様とその福音があがめられるために

前回の記事では、牧師たちが高い基準に照らして評価されるべきだということを述べました。それは、神様の御名と教会の評判が汚されないためです。

しかし実のところ、イエス様の代表として歩むよう召されているのは、すべてのクリスチャンです。だからこそ、私たちは日々の歩みの中で、自分がどのように生きているかに注意を払うべきなのです。

このことを踏まえて、パウロはやもめたちに対して、自分の振る舞いを慎み深く整えるように命じました。

そしてその勧めは、やもめたちだけでなく、すべての主婦にも当てはめることができます。それは、「反対者にそしる機会をいっさい与えない」ためです(テモテへの手紙第一5:14)。

同じように、パウロは奴隷たちにも戒めを与えました。

奴隷としてくびきの下にある人はみな、自分の主人をあらゆる面で尊敬に値する人と思わなければなりません。神の御名と教えが悪く言われないようにするためです。

信者である主人を持つ人は、主人が兄弟だからといって軽んじることなく、むしろ、ますますよく仕えなさい。その良い行いから益を受けるのは信者であり、愛されている人なのですから。

あなたはこれらのことを教え、また勧めなさい。(テモテへの手紙第一6:1-2)

もちろん、日本に奴隷制度は存在しません。けれども、パウロの言葉は今日の私たちの職場の状況にも応用できます。つまり、私たちは家庭でも職場でも、どこにいても、イエス様の代表者としてふさわしく振る舞うべきなのです。

私たちは上司を尊敬し、イエス様に仕えるように、誠実に上司に仕えなければなりません。同僚たちが私たちを見るとき、文句を言わず、真面目に働いている姿を見るべきです。

このような状況を少し想像してみてください。職場で、ある人がこう言ったとします。「あの人は怠け者で、真剣に働こうとしません。正直言って、彼がこの会社にいない方がありがたいです。」

もし、私たちに対して同僚たちがそのように思っているなら、果たして彼らはイエス様に心を惹かれるでしょうか。おそらく、そうはならないでしょう。

その一方で、私たちが誠実で勤勉に働き、良い態度をもって職務を果たしている姿を見たとき、同僚たちは私たちを自然と尊敬するようになります。

そして私たちがクリスチャンであると知ったとき、イエス様とその福音があがめられるのです。この暗い世にあって、私たちは星のように輝くのです(ピリピ2:15)。

では、あなたはどうでしょうか。あなたの職場における振る舞いを通して、神様に栄光をおささげしているでしょうか。それとも、イエス様とその福音に恥をかかせてはいないでしょうか。