カテゴリー
コロサイ人への手紙

キリストこそ私たちの命

「イエス様は私の命です。」

クリスチャンとして、あなたはこの言葉を心から告白できるでしょうか。たとえ私たちがその真理を認めても、あるいは認めなくても――イエス様は実際に、私たちの命なのです。

パウロはこう語っています。

「あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているのです。」(コロサイ人への手紙3:3)

この世の人々にも、そして私たち自身にも、私たちがキリストにあって何を持っているのかは、今は完全には見えないかもしれません。けれども実際には、私たちはキリストから数えきれないほどの祝福を受けているのです。

私たちは罪から救われ、神様と和解させていただきました。今もなお、私たちは聖霊様の力によって、日々イエス様のかたちへと変えられつつあります。

そしていつの日か、イエス様が私たちのからだを贖い、完全に罪から解き放たれる時が来ます。その日、私たちは天の御国の相続を受け、栄光の冠を戴くのです。

とはいえ、今はそのすべてが隠されています。私たちは今、その栄光をわずかに垣間見るにすぎません。しかし、イエス様が再びこの世に現れられる時、私たちに与えられているすべては明らかになります。

パウロはこの真理を、次のように表現しました

あなたがたのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに栄光のうちに現れます。(4)

それなら、なぜ私たちの多くは、イエス様とそのうちにある宝に目を留めずに、この一時的な世界のものをひたすら追い求めてしまうのでしょうか。

パウロは、そんな私たちに対して、力強く訓戒します

こういうわけで、あなたがたはキリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。

上にあるものを思いなさい。地にあるものを思ってはなりません。(1-2)

「上にあるものを求めなさい。」

言い換えるなら、永遠に価値あるものに目を向けなさい、ということです。では、永遠に価値あるものとは何でしょうか。

それは、神様との関係です。そして、御国に属する民との関係もまた、永遠に続くものです。だからこそ、その関係を妨げるものを取り除かなければなりません。では、その妨げとなるものとは何でしょうか。

パウロは、このことについて私たちに教えています。

ですから、地にあるからだの部分、すなわち、淫らな行い、汚れ、情欲、悪い欲、そして貪欲を殺してしまいなさい。

貪欲は偶像礼拝です。これらのために、神の怒りが不従順の子らの上に下ります。

あなたがたも以前は、そのようなものの中に生き、そのような歩みをしていました。(5-7)

こうしたものは、私たちの関係を妨げます。これらの罪を抱くとき、私たちは神様よりも自分自身を大切にしてしまいます。神様の御心を求めず、自分の欲望を求めてしまいます。

お金や性、またはその他のものを、私たちは偶像にしてしまいます。そして私たちは、神様を退けて、「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」という命令に背いてしまうのです。

また、私たちは兄弟たちや姉妹たちとの関係を妨げるものも捨てなくてはなりません。だからパウロはこう言います。

しかし今は、これらすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを捨てなさい。互いに偽りを言ってはいけません。(8-9)

なぜでしょうか。それは、キリストにあって私たちは一つだからです。私たちの間には、人種による隔たりも、性別による壁も存在しません。私たちは一つの家族です。

だからこそ、私たちは互いを家族として尊重し合い、愛をもって扱うべきなのです(8ー11)。

だからパウロはこう語ります

ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。

互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。

主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。

そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。

キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。(12-15)

そしてパウロはこう言います。

キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。(16)

その「ことば」とは何でしょうか。それは、福音です。

私たちは、十字架で成し遂げられた御業と、自分が受けた恵みを思い巡らしているでしょうか。私たちの人生は、イエス様の愛と恵みに根ざしているでしょうか。イエス様の教えは、私たちの考え方や生き方を変えているでしょうか。

さらに、私たちはそのことを思い起こすとき、神様に対する感謝の思いが湧き上がり、兄弟姉妹たちとその祝福を互いに思い出させ合っているでしょうか(3:16)。

そして最後に、私たちが何をするにも、すべてを主イエスの御名において行っているでしょうか(17)。

私たちは、イエス様の代表者としてふるまっているでしょうか。

イエス様は、まさに私たちの命そのものです。けれども私たちは、本当にそのように生きているでしょうか。