創世記16章では、ハガルは神様を「エル・ロイ」、つまり、「私を見てくださる神」と呼びました。
そして、彼女は神様に出会った場所を「ベエル・ラハイ・ロイです」、つまり、「私を見てくださる生きておられる神の井戸」と呼びました。
数年後、イサクはベエル・ラハイ・ロイに行きました。
母サラが亡くなったばかりで、イサクは深い悲しみの中にいたようです。
新改訳では「散歩に出かけた」と訳されていますが、原語の意味はもっと繊細です。
イサクはただ歩いていたのではなく、心の中で多くのことを思い巡らし、祈っていたのかもしれません。
もしかすると、彼はこう祈っていたのではないでしょうか。「神様、あなたは本当に私を見てくださっているのですか。私の悲しみをご存じなのですか。」
神様は確かにイサクを見ておられました。そして、恵みによって、イサクの心の必要に備えてくださいました。
私は創世記24章67節が大好きです。イサクはリベカを迎え、彼女を愛し、母の死後、慰めを得ました。
私たちの心を見てくださる神。私たちの祈りに耳を傾けてくださる神。私たちの深い必要に備えてくださる神。
そのような神様に、今日も信頼して歩みます。
