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ヨハネの黙示録

打ち倒された敵、怒りに燃える敵

なぜ私たちは苦しまなくてはならないのでしょうか。なぜ迫害されなくてはならないのでしょうか。なぜ神様はそのような苦難を許されるのでしょうか。

もしあなたが私と一緒に黙示録を読んでいて、特にこのブログを読む前に反キリストと向き合うことはないと思っていたなら、なぜ私がそれを信じているのか不思議に思うかもしれません。

正直に言えば、反キリストが来る前に神様がクリスチャンを天に引き上げてくださったらいいのにと思います。でも、黙示録、特に今日の箇所を読むと、私たちが反キリストを避けられると信じることはできません。

今日の箇所では、私たちはマリアがイエス様を生んでからのキリスト教の歴史を大観します。ヨハネはこう語りました。

また、大きなしるしが天に現れた。一人の女が太陽をまとい、月を足の下にし、頭に十二の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていて、子を産む痛みと苦しみのために、叫び声をあげていた。(黙示録12:1-2)

私はさっきマリアの名前に触れたので、あなたは上記の女がマリアだと思うかもしれません。でも、たぶんマリアはその女ではありません。

ヨハネが太陽や月や十二の星について語るとき、彼は旧約聖書に出てくるヨセフの夢に言及している可能性があります。その夢では、太陽と月と星はヨセフの父ヤコブ(別名イスラエル)、母、そして十一人の兄弟を象徴していました。そして、その夢で彼らはヨセフを拝みました(創世記37:9ー10)。

そういうわけで、その妊婦はイスラエルという国を象徴していると思います。そこから、私たちのメシアであり王であるイエス様がお生まれになりました。

しかし、イエス様が人間としてこの世におられる間、サタンを象徴する竜はイエス様を滅ぼそうとしました。例えば、サタンの影響を受けたヘロデ王がベツレヘムの赤ちゃんたちを殺したという出来事があります(マタイ2:16ー18)。

そして、十字架でイエス様は殺されました。けれども、その後、イエス様は復活し、天に戻られました。

それを見た後、ヨハネは天にある戦いを目にします。その戦いで、サタンとその使いたちは天から追放されました。そこでサタンは地に降り、女(つまりイスラエル)を追い詰め、滅ぼそうとしました。

私ははっきりとは分かりませんが、これは西暦70年のエルサレム崩壊を指している可能性があります。そのときサタンはイスラエルを滅ぼそうとしましたが、すべてのユダヤ人が殺されたわけではありません。

特に、ユダヤ人のクリスチャンたちはイエス様の警告(マタイ24:15-21)を覚えていて、ローマ軍の攻撃前にエルサレムから避難しました。

サタンはイスラエルを完全に滅ぼし、ユダヤ人たちを皆殺しにすることができなかったため、女の子孫の残りの者たちを殺そうとしました。その「女の子孫の残りの者」とは誰を指すのでしょうか。

それは、アブラハムの肉体的な子孫ではありません。むしろ、彼らは「神の戒めを守り、イエスの証しを堅く保っている者たち」です。(17)

言い換えると、その子孫とは教会のことです。ユダヤ人でも異邦人でも、イエス様を信じる私たちクリスチャンは、真のイスラエルの子孫とされました(ガラテヤ3:29)。

では、なぜサタンは私たちに激しい怒りを燃やしているのでしょうか。なぜそれほど私たちを滅ぼそうとしているのでしょうか。

ヨハネはその理由を説明します。

悪魔が自分の時が短いことを知って激しく憤り(ます)。(12)

悪霊たちは天から追放され、天にいる者たちは歓喜します。けれども、ヨハネは地上の人々に警告を与えます。

しかし、地と海はわざわいだ。悪魔が自分の時が短いことを知って激しく憤り、おまえたちのところへ下ったからだ。(12)

では、この箇所から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。

第一に、私たちはすでに打ち倒された敵に直面しているということです。サタンはそれを知っていて、自分の時が短く、やがて裁かれることも理解しています。

第二に、その時が来るまでは、サタンは怒りを持って私たちを襲ってくるということです。だから、これまで見てきたように、そして後の箇所でも見るように、あるクリスチャンたちはイエス様のために殺されます。

それでも、私たちは最終的な勝利を手にします。サタンは私たちのからだを殺すことがあっても、私たちの魂を滅ぼすことはできません。だからこそ、サタンが天から追放されたとき、大きな声がこう天で叫びました。

今や、私たちの神の救いと力と王国と、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、昼も夜も私たちの神の御前で訴える者が、投げ落とされたからである。(10)

つまり、イエス様の十字架の御業によって、サタンはもはや私たちを責める権利を失ったのです。だからサタンが私たちを責めようとしても、神様は彼を黙らせてくださいます。

さらにヨハネによれば、私たちは一時サタンに敗れることがあっても、結局、

兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかった。(11)

サタンは私たちを襲い、命を奪うかもしれません。それでも、私たちは最終的な勝利を手にします。

なぜなら、イエス様は十字架で私たちのためにすでに勝利を収められたからです。そして、私たちのいのちと死を通して、私たちは神様が私たちの心を新しくしてくださったことを証し、サタンが私たちを責める権利をもはや持っていないことを証明するのです。

それゆえ、天とそこに住む者たちよ、喜べ。(12a)

私たちはすでに勝利を手にしているのです。