あなたは成熟したクリスチャンで、聖書をよく知っているかもしれません。
しかし、今もなお素直な心をもって、学ぶ姿勢を保っているでしょうか。
謙遜な態度をもって、自分にはまだ知らないことが多くあると認めているでしょうか。
そのような心を保つときこそ、私たちはクリスチャンとして成長し続け、神様のために実を結び続けることができるのです。
あなたは成熟したクリスチャンで、聖書をよく知っているかもしれません。
しかし、今もなお素直な心をもって、学ぶ姿勢を保っているでしょうか。
謙遜な態度をもって、自分にはまだ知らないことが多くあると認めているでしょうか。
そのような心を保つときこそ、私たちはクリスチャンとして成長し続け、神様のために実を結び続けることができるのです。
ただ強くあれ。雄々しくあれ。わたしのしもべモーセがあなたに命じた律法のすべてを守り行うためである。
これを離れて、右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである。(ヨシュア記1:7)
主よ、私が好きな部分だけではなく、あなたの言葉のすべてに従う心を与えてください。私がその言葉から離れて、右にも左にもそれないようにしてください。
また、私が自分の思いをこの世の思いと調子を合わせないようにしてください。この世の考え方は日々堕落しつつあるからです。むしろ、私の心を新たにして、私の思いをあなたの思いと調子を合わせてください。(ローマ12:2)
イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
安息日を破った人の話が、民数記15:27-31にある神様の指示のあとに記録されているのは、偶然ではないと思います。
27-31節では、神様は、気づかずに罪に陥ってしまう人と、故意に罪を犯す人を区別されます。
気づかずに罪に陥ってしまう人のためには、祭司が宥めを行い、その人は赦されました。
しかし、故意に罪を犯した人のためには、宥めはありませんでした。神様はその人を赦されませんでした。
安息日を破った人は、そのような人でした。
彼はただ、その日が安息日であったことを忘れていたわけではありません。周りの人々がその罪を指摘したとき、彼は「大変です。忘れてしまいました。どうしたらいいですか」とは言いませんでした。
むしろ、彼はまったく気にしませんでした。彼は神様の言葉を侮り、その行為によって神様を冒瀆しました。
その結果は――死です。
素直に悔い改める心を持つ人に対して、神様は恵み深いお方です。神様は、いつもそのような人を赦してくださいます。
しかし、悔い改めようとしない反抗的な人は、神様の赦しを知ることがありません。
ですから、いつも神様に対して柔らかい心を保ちましょう。
私たちが「もう知っている」という態度を取るのは、簡単なことです。
例えば、日曜日に牧師のメッセージを聞くとき、「もう知っている」と思ってしまうことがあります。
長い間、教会に通っている人にとって、そのような態度を取るのは特に簡単です。
正直に言うと、私自身もそのような態度を取ったことがあります。今でも、そのような姿勢に注意しなければなりません。
たとえ神様や聖書について多くのことを正しく理解していても、私たちはまだまだ学ぶべきことがたくさんあります。
この箇所では、アポロという人物がイエス様について深い知識を持っており、その理解はある程度正しかったものの、不完全でした。
そこで、プリスキラとアキラというクリスチャン夫婦は、アポロに「神の道をもっと正確に説明しました」(使徒の働き18:26)。
最も重要なのは、アポロが素直な心を持っていたということです。彼は「私はもう知っている」と言って彼らの教えを拒んだわけではありません。
むしろ、常に学ぶ姿勢を保っていたため、彼のミニストリーはさらに力強くなりました。その態度によって、彼は神の国のためにさらに豊かな実を結びました。
あなたはどうでしょうか。あなたは成熟したクリスチャンで、聖書について深く知っているかもしれません。しかし、今でも素直な心を持ち、学ぶ姿勢を取っていますか。
謙遜な態度を持ち、まだ知らないことが多くあると認められるでしょうか。
そのような心を持ち続けることによってこそ、私たちはクリスチャンとして成長し、神様のために豊かな実を結び続けることができるのです。