翌日になって、モーセは民に言った。「あなたがたは大きな罪を犯した。」(出エジプト記32:30)
モーセの言葉で、私の心は本当に打たれました。
「あなたがたは大きな罪を犯した。」
それを読んで、私は考えました。
「私は自分の罪をどれだけ重く受け止めているだろうか。自分の罪を軽く見てしまうことがあるだろうか。」
パウロによれば、罪の報酬は死です。(ローマ書6:23)
イスラエル人たちは、その真理を学びました。3000人のイスラエル人が死に、さらに多くの人々が打たれました。
十字架でイエス様が死ななければならなかったほど、私たちの罪は深刻なものです。
私たちが自分の罪の深刻さを正しく理解してこそ、ダビデの言葉に含まれた喜びの深さを理解することができます。
幸いなことよ、その背きを赦され、罪をおおわれた人は。
幸いなことよ、主が咎をお認めにならず、その霊に欺きがない人は。(詩篇32:1ー2)
天のお父さん、私が決して自分の罪を軽く見ないようにしてください。私が決して、あなたの素晴らしい恵みを当たり前のものだと思わないようにしてください。
