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ルカの福音書のデボーション

親しみやすい?

さて、取税人たちや罪人たちがみな、話を聞こうとしてイエスの近くにやって来た。(ルカの福音書15:1)

今日、なぜか私はその言葉に心を打たれました。そして、こう自問しました。「イエス様を知らない人にとって、私は親しみやすい人だろうか。」

正直に言うと、私はあまり社交的ではありません。人は好きですが、私は外交的な性格だとは言えません。

初対面の人と話すのは少し(いや、だいぶ?)苦手です。以前よりはうまく話せるようになりましたが、おそらく完全に自然にできるようにはならないでしょう。

それでも、人々は私の中にイエス様の愛を見ることができるでしょうか。私が彼らを見下すでもなく、責めるでもないと知って、気軽に私に近づけるでしょうか。

それが私の願いです。しかし振り返ると、私が親しみやすくなかった時もあると気づきます。

それに比べて、イエス様は親しみやすい方でした。そのため、「罪人」と呼ばれる人々でさえ、イエス様に惹きつけられました。一方で、パリサイ人が親しみやすいと感じた人は誰もいなかったのです。

私たちは、神様の国を広げ、人々を神の良いご支配の下に招く使命を与えられています。だから、イエス様と同じように、私たちも親しみやすい人でなければなりません。そうでなければ、その使命を果たすことはできません。

だから、今日私はこのように祈りました。「イエス様、どうか私があなたのように親しみやすい人になる方法を教えてください。」

あなたはどのような人ですか。あなたは親しみやすい人ですか。

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ローマ人への手紙

でも、ちょっと言い過ぎているでしょう。

多くの人々がパウロの言葉を読むと、このように反応するかもしれません。

「パウロは少し言い過ぎではないでしょうか。『神を求める者は誰もいない?』って。

私の知り合いには、神様を求めている人がたくさんいます。

また、『善を行う者は誰もいない?』って。

毎日、善を行う人を見かけます。」

この二つの異議について少し考えてみましょう。

では、パウロが「神を求める者はいない」と言ったとき、どういう意味なのでしょうか。

ローマ人への手紙1章をもう一度読んでください。その箇所によれば、人々は神様に関する知識を拒絶しました。神様は、ご自身を被造物や人々の良心、神様の律法を通して現してくださいました。

しかし、人々は神様に関する真理を偽りと取り替えました。彼らは「神様を求めている」と言いながらも、神様ではないものを礼拝していました。(1:25)

多くの場合、彼らは偶像を礼拝しました。ほかの人々は聖書の教えを曲げて、違うイエス様や違う福音、違う聖霊に従いました。(第二コリント11:4)

あなたはこう言うかもしれません。「でも、私はクリスチャンです。私はカルトや別の宗教に所属しません。私が神様を求めたので、神様は私を救ってくださいました。」

ある程度、それは正しいかもしれません。とはいえ、その理解は少し不完全です。つまり、あなたがイエス様を選ぶ前に、イエス様はあなたを選んでくださいました。(ヨハネ15:16)

また、あなたが神様を求める前に、神様はあなたを探していました。(ルカ19:10)

神様が先にあなたを愛し、探してくださったので、あなたは神様を求め始めたのです。神様があなたの目隠しを取り除いたので、あなたは神様を必要としていると分かり、神様を求め始めました。

もし神様があなたをそのままにしていたら、あなたは決して神様を求め始めなかったでしょう。

神様が触れる前に、神様を求める人は誰もいません。もし振り返れば、神様がどのようにあなたに触れ、あなたの人生に働きかけたかが分かるでしょう。

そして、パウロが「善を行う人はいない」と言ったとき、どういう意味なのでしょうか。

少し想像してみてください。ケーキを作るとき、あなたは砂糖ではなく、わざと塩を入れます。焼いたら、そのケーキは見た目は美味しそうかもしれません。

けれども、人々はそのケーキを食べられるでしょうか。全く食べられないでしょう。そのケーキは捨てるしかないでしょう。

そのように、私たちが神様に背を向けると、私たちの良い行いは神様にとって受け入れがたいものとなります。

私たちは良い行いをするかもしれませんが、それらの行いには神様への反抗的な態度という味がついてしまいます。だから、神様にとっては、あなたの良い行いは無意味なのです。

たとえ良い行いをしても、神様は反抗的な態度を受け入れません。

預言者イザヤはこう言いました。

私たちはみな、汚れた者のようになり、その義はみな、不潔な衣のようです。(イザヤ64:6)

要するに、自分の良い行動によって救われる人は誰もいません。また、「私の心がそもそも他の人々の心よりも優れたものなので、私は神様に従った」と自慢できる人は誰もいません。

私たちは皆は、神様の恵みだけによって救われることができます。

私たちはローマ人への手紙を読めば、読むほど、私たちはその真理を分かって来るでしょう。